サルヴィーニとの対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/19 07:25 UTC 版)
「ウンベルト・ボッシ」の記事における「サルヴィーニとの対立」の解説
2013年、総選挙で北部同盟が大敗を喫するとロンバルディア州知事に当選したマローニは書記長を退任した。好機と見たボッシは書記長復帰を声明したが、同盟内から不満が噴出した事でマッテオ・サルヴィーニが対抗馬に立ち、初の書記長選挙が行われた。選挙でボッシは大差でサルヴィーニに破れた。サルヴィーニは右派ポピュリストに再転向して北部同盟を「同盟」に再編したが、ボッシはサルヴィーニが国家主義やファシズムへの同調すら示した事を猛烈に非難した。共産主義から転向し、次いで郷土主義から外国人移民・反EUに論点を移動させたのは自身も同じであったが、ボッシにとって反国家主義・反ファシズムに関しては譲れない部分であった。 2017年、書記長選挙で反サルヴィーニ派のジャンニ・ファヴァ(英語版)を支援したが、サルヴィーニが書記長に再選された。 2018年、総選挙でサルヴィーニ体制の同盟は圧勝して五つ星運動と連立政権を組閣した。ボッシも上院で再選されているが、選挙後に行われたポンティーダでの党大会で登壇すら許可されず、創設者の権威を失った状態であることが示された。
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