サリーニョロとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > サリーニョロの意味・解説 

サリー・ニョロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/09 15:48 UTC 版)

サリー・ニョロ
出生名 Sally Soleïnie Nyolo
出身地 カメルーン エトン
ジャンル ワールドミュージック/ポリフォニー
職業 歌手マルチプレイヤー

サリー・ニョロ(サリィ・ニョロ、Sally Nyolo)は、アフリカ中部・カメルーン出身の歌手、音楽プロデューサーパリ在住。自らのルーツであるカメルーンの伝統音楽を融合した新しいアフロ・ポップを生み出す。一時期、ベルギーの人気アカペラグループザップ・ママに在籍したこともあるが、現在はソロとして活躍している。

5枚のソロアルバム TribeMulticulti BetiZaïoneMémoire Du Monde をリリース。カメルーンの首都ヤウンデにスタジオを開設し、アフリカの若いアーティストの育成にも力を注ぐなど、ヨーロッパにおけるワールドミュージックの中心人物の一人として、精力的に活動している。

略歴

  • サリー・ニョロは、南カメルーンのエトンに生まれる。13歳のときパリに移住、10代の頃からすでにいくつかのグループで歌う。
  • 1982年から1994年にかけては、ジャック・イジュラン、 ケニー・チェスニー、プリンセス・エリカらと共に活動する。 1991年からソロ活動も開始。翌1992年には、映画音楽にも進出。1993年、自身のグループを結成し、パリを中心に活動を始める。
  • 1994年、ベルギーの人気アカペラグループ ザップ・ママのリーダーであったマリー・ドルヌに招かれ、そのメンバーとなる。
  • 1996年、サリーの母国語であるエトン語で書かれたソロアルバム Trib をリリース。1997年7月、フランス・インターナショナルラジオより、ディスカバリー賞を受賞する。審査員長であったマヌ・カチェは、最も期待する新世代のアフリカのミュージシャンとして、サリー・ニョロおよびアルバム Trib を絶賛した。なお、このアルバムは、全世界で30万枚(米国だけで10万枚)を売り上げた。
  • 1998年、彼女自身の豊かなアフリカの伝統音楽の知識に裏付けされたセカンドアルバム Multiculti をリリース。パリを皮切りにツアーを開始。米国カナダスペインなどを回る。
  • 2000年、サードアルバム Beti をリリース。このアルバムは、伝統的なカメルーンのダンス音楽であるビクツィが基調となっている。翌2001年には、フランス、スペイン、イタリアポルトガルスイスでヨーロッパツアーを行う。
  • 2005年3月、デヴィッド・マレイ主催のフェスティバル Pushkin に出演。同年6月に、カメルーンの首都ヤウンデにスタジオをオープンし、以来、カメルーンの若いアーティストの育成にも力を注ぐ。
  • 2006年、アルバム Studio Cameroon をリリース。
  • 2007年、アルバム Mémoire Du Monde をリリース。

ディスコグラフィ

  • Trib (1996)
  • Multiculti (1998)
  • Beti   (2000)
  • Zaïone  (2002)
  • Studio Cameroon  (2006)
  • Mémoire Du Monde  (2007)

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

サリーニョロのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



サリーニョロのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのサリー・ニョロ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS