サムーガルの戦いと敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 16:03 UTC 版)
「ダーラー・シコー」の記事における「サムーガルの戦いと敗北」の解説
6月8日、ダーラー・シコーはサムーガルで、アウラングゼーブとムラード・バフシュの連合軍とアーグラ近郊のサムーガルで戦闘を交えた(サムーガルの戦い)。シャー・ジャハーンは戦いが始まる3,4日前までずっと、彼にスライマーン・シコーが到着するまで待ち、その間に陣地を築く有利な場所を選ぶように手紙で伝えていた。 戦いは象の上のダーラー・シコーが前に進みながら兵を叱咤激励し、息子のシピフル・シコーや味方の武将ルスタム・ハーン・デカニー、チャタルサール・シング、ラーム・シング・ラートールなどが奮戦していたことで、戦況は彼に有利な方だった。 ダーラー・シコーは突撃しているさなか、左翼のルスタム・ハーン・デカニーとチャトラサール・シングが戦死し、ラーム・シング・ラートールが敵陣を突破したのち、四方八方を敵に囲まれていることを知った。そのため、彼はアウラングゼーブを攻めに直行する計画を断念し、ラーム・シング・ラートールのいる左翼の救援に向かった。 ラーム・シング・ラートールが死亡したのち、ダーラー・シコーはムラード・バフシュの追撃に向かったが、そのとき武将の一人ハリールッラー・ハーンが裏切った。ハリールッラー・ハーンは過去に彼に侮辱されたことを根に持っており、自分が率いていた軍を離れ、ムラード・バフシュの攻撃へと向かったダーラー・シコーに象を降りて馬に乗り換えるように言った。 ダーラー・シコーは自分の象の天蓋付きの輿に弾が当たっていたこともあり、馬に乗り換えたが、間もなく自分の犯した過ちに気づいた。「あの男(ハリールッラー・ハーン)はどこだ?あいつは裏切った。殺してやるぞ」と探し始めたが、ハリールッラー・ハーンはすでに遠くへと逃げていた。 その後、ダーラー・シコーが象の上にいないことから、軍は彼が殺されたものと勘違いし混乱がおこった。軍の兵士らはわれさきにと逃げだし、全軍がバラバラになってしまった。彼のとった誤った行動一つが、戦いの勝敗を決めてしまったのである、とベルニエは語っている。
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