サクソン戦争とヴィドゥキント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 09:25 UTC 版)
「ヴィドゥキント」の記事における「サクソン戦争とヴィドゥキント」の解説
772年、フランク王国のザクセンへの侵攻に端を発し、ザクセン戦争が始まった。ザクセンは抵抗の末に占領された。ヴィドゥキントが記録の上に登場するのは、777年にデンマークへ赴き、王の下へ身を寄せてフランクに対抗する会合を開いた、というフランク側の記述である。778年、カール1世(カール大帝)がスペインへの遠征に赴くと、ヴィドゥキントはザクセンへ戻り、部族を率いてフランクの領土に対して略奪を働いた。しかし、カールが帰還すると状況は一変し、ヴィドゥキントの部族は攻撃され、多くのザクセン人が処刑された。とりわけ、ヴェーザー川の支流アラー川の河畔で捕虜4500人が殺されたことを、カールのもとで活躍した僧アルクィンが記している。ヴィドゥキントは逃亡を繰り返さなければならなかった。カールはヴィドゥキントに、降伏してキリスト教に改宗するよう呼びかけた。785年、ヴィドゥキントは彼の部族とともに降伏し洗礼を受けた。これ以降、ヴィドゥキントはサクソン戦争に参加せず、修道院で隠遁生活を送ったとされる。
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