サクダリスタ運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 08:10 UTC 版)
「ベニグノ・ラモス」の記事における「サクダリスタ運動」の解説
下野後のラモスはタガログ語新聞『サクダル』(Sakdal / タガログ語で「糾弾」の意)を創刊した。やがて同紙は米軍基地撤去を含む「アメリカからの真の独立」を標榜するようになり、これを支持する人々はサクダリスタ運動(上記「サクダル」からの造語)の名の下組織化されていくことになる。そして1935年5月、フィリピン独立法施行にともなうフィリピン自治領発足前夜ついに反乱に踏み切り、参加者20000人に及んだがまもなく鎮圧され、当時外遊中であったラモスは日本への亡命を余儀なくされた。
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