ゲーム作曲家としての来歴
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専門学校を卒業後フリーとして活動したあと、1993年にコナミコンピュータエンタテインメント東京(KCE東京・KCET・コナミTYO、後に吸収合併によりコナミ株式会社)に入社。1999年、社内でのホラーゲームプロジェクトにコンポーザーとして立候補し、それ以降在籍時のサイレントヒルシリーズの音楽を担当することとなった。サイレントヒルシリーズの楽曲は国内外を問わず評価を得ており、特にサイレントヒル2のメインテーマである「Theme of Laura」は特に国外での評価が高く、海外ではオーケストラを率いて楽曲を演奏することがしばしばある。また、サイレントヒル3、サイレントヒル4ではプロデューサーも並行して務めた。 日本においては、BEMANIシリーズでの作風・コメントなどがクローズアップされることが多い。楽曲はテクノ・トランスからポップ、ロックまで幅広く、強烈な個性の歌詞をもつ、いわゆる電波ソングの作者として注目をあつめることが多い。beatmania IIDXのライブイベントにも複数回出演し、「BEMANIアーティスト」の一人として、ソロアルバム「iFUTURELIST」をリリースするなど精力的に活動していた。 2009年、コナミ退職を発表。その年末には須田剛一率いるグラスホッパー・マニファクチュアへの加入が発表された。以降、コンスタントに須田剛一作品に楽曲を提供している。
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