グルンヴァルト
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ナビゲーションに移動 検索に移動グルンヴァルト(Grunwald)はポーランドの村。ヴァルミア・マズールィ県に属する。近隣の都市としては、約40キロ北東の県都オルシュティンなどが挙げられる。ドイツ語ではグリューンフェルデ(Grünfelde)、リトアニア語ではジャルギリス(Žalgiris)と称する。「緑の森」の意。
1410年、この村とステンバルク(ドイツ語・タンネンベルク)村の近くでポーランド・リトアニア連合国(ヤギェウォ朝)とドイツ騎士団の軍が争い、ヤギェウォ朝側(ポーランド・リトアニア連合)が勝利を収めた。これを「グルンヴァルトの戦い」(あるいは「タンネンベルクの戦い」)と呼ぶ。毎年7月になると、この中世の戦いを記念してヨーロッパから来た何千人もの騎士たちが、グルンヴァルト古戦場跡で戦いを再現している(この夏祭りについてはタンネンベルクの戦い (1410年)を参照)。
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グルンヴァルト
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「ヴァルミア=マズールィ県」の記事における「グルンヴァルト」の解説
グルンヴァルトでは、1410年7月15日、ステンバルク村との間にある草原でポーランド・リトアニア連合国軍とチュートン騎士団軍が中世最大の決戦を行い、ポーランド・リトアニア連合国軍が大勝した。これを「グルンヴァルトの戦い」という(ドイツ人はステンバルク村のドイツ語名から「タンネンベルクの戦い」と呼ぶ)。この戦いによってチュートン騎士団はポーランド王国の従属国となり、一方ポーランド・リトアニア連合はこれによって黄金時代を迎えることになった。この戦場跡は現在でも草原のまま保存され、記念碑がある。毎年7月にはグルンヴァルトの戦いを記念する祭典が戦場跡で開かれており、ヨーロッパ中から騎士に扮した歴史ファンが多数集まってこの戦いを再現、内外から毎年10万人を超える観客を集める非常に大きな夏祭りとなっている。 グルンヴァルト歴史まつり グルンヴァルト歴史まつり グルンヴァルト歴史まつり グルンヴァルト歴史まつり
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