グラスゴー派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/13 22:50 UTC 版)
グラスゴー派は、19世紀末に、芸術家集団「4人組」を中心としてヨーロッパ各地からスコットランドのグラスゴーに集まった建築家・デザイナー等のグループである。
形骸化したルネッサンス文化に飽き足らず、ロマンチシズムを取り入れた新しい家具を含む工芸・芸術運動を展開した[2]。
概要
芸術家集団「4人組」は、スコットランドの工芸家で建築家のチャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868年 - 1928年)、マーガレット・マクドナルド(1865年 - 1933年)、フランシス・マクドナルド(1874年 - 1921年)、ハーバード・マックネア(1868年 - 1955年)によって結成された。マーガレットとフランシスは姉妹である。
マッキントッシュ等4人組は、1896年のアーツ・アンド・クラフツ展に、彼らの家具、ポスター、絵画作品、銀細工の時計、装飾パネルなどを出品する。(マッキントッシュは家具、ポスター、絵画作品、マクドナルド姉妹は銀細工の時計、装飾パネルなどを出品した[3]。)
しかし、展示会主催のメンバーらは、グラスゴー派の幻想的な曲線装飾を「奇妙な装飾の病」として、非難し、それ以後の出品を禁止した。そして、当時の多くの芸術家からも酷評された。しかし、1893年に創刊されたロンドンの美術工芸雑誌「ステュディオ」は、唯一反対の立場をとり、1897年に「4人組」を中心に連載でグラスゴー派の活動を紹介した[3]。この記事の掲載が、同じ年のウィーンの美術家と工芸家によって結成されたウィーン分離派の造形運動に影響を及ぼし、その後の1900年にダルムシュタット芸術家村で開催されたウィーン・ゼツェッション展を通じてマッキントッシュの名が広まった。
「4人組」の絵画作品
- フランシス・マクドナルド(画)
グラスゴー・ガールズ
「4人組」のメンバーであったマーガレット・マクドナルドとフランシス・マクドナルドを含む女性画家、デザイナーのグループは「グラスゴー・ガールズ」と呼ばれた。主要なメンバーにはジェシー・M・キング、アニー・フレンチ、ヘレン・パクストン・ブラウン、ジェシー・ワイリー・ニューベリー、アン・マクベス、ベッシー・マクニコル、ノラ・ニールソン・グレイ[4]らがいる。
1885年から1920年の「啓蒙の時代」において、グラスゴーで女性芸術家の活動が盛んになったのは、地域の美術学校、グラスゴー美術学校の進歩的な校長であるフランシス・ヘンリー・ニューベリーの影響が大きい、ニューベリーは女性の教師を雇い、刺繍などの女性の工芸のクラスを設けた[5]。美術史で「グラスゴー・ガールズ」という名前がつかわれるのは、1960年代になってからで、スコットランドの美術史家のブキャナン(William Buchanan)がグラスゴーの芸術家の展覧会を紹介するなかで使用したとされる[5][6][7]。
「グラスゴー・ボーイズ」
「4人組」の作品が注目されていた1880年代から1890年代に、グラスゴーで学んだり、活動する若い画家たちはフランスで流行した「印象派」や、「ポスト印象派」の影響を受けた作品を描くようになり、「グラスゴー・ボーイズ」と呼ばれることになった。
メンバーとされる画家と作品例
- (画)ロバート・マクグレガー (en)
Doing the Provinces (1879) - (画)アレキサンダー・マン
Soubrette (1883) - (画)トーマス・ミリー・ダウ
Spring (1886) - (画)ジョセフ・クローホール
The Aviary Clifton (1888) - (画)ジェイムズ・ガスリー
A Hind's Daughter (1884) - (画)ジョン・クイントン・プリングル
Gartcoshの養鶏場 (1906) - (画)ウィリアム・ヨーク・マクレガー
Cerca de Dover (1921) - (画)ジョージ・ヘンリー
Poppies (1891) - (画)エドワード・アーサー・ウォルトン
Bluette (1891) - (画)ベッシー・マクニコル
リンゴの木の下で (1899) - (画)グロスヴナー・トーマス
フランスの村の月明り (1903) - (画)エドワード・ホーネル
Amidst the spring blossom (1905) - (画)ジョン・レィヴァリ
Evelyn Farquhar, wife of Captain Francis Douglas Farquhar (1906) - (画)ジェイムズ・パタースン
Kippford Waiting For The Tide (1913) - (画)ノラ・ニールソン・グレイ
The Belgian Refugee (1915) - (画)ウィリアム・ヨーク・マクレガー
The Sands Of Morar - (画)トーマス・コーサン・モートン
Sun glitter on the Forth - (画)アレクサンダー・ロシュ
The Looking Glass - (画)スタンズモア・ディーン・スティーブンソン
Jean Macaulay Stevenson
脚注
- ^ 中央最後列がフランシス・マクドナルド、後列、左からマーガレット・マクドナルド、 Katherine Cameron, Janet Aitken, Agnes Raeburn, Jessie Keppie, John Keppie 、前列、左がハーバード・マックネア、右がチャールズ・レニー・マッキントッシュ
- ^ 戸谷英世・竹山清明『建築物・様式ビジュアルハンドブック』株式会社エクスナレッジ、2009年、147頁。
- ^ a b 監修:阿部公正『世界デザイン史 カラー版』美術出版社、1995年、32-33頁。
- ^ Glasgow Girls On Display, Mary Selwood, accessed July 2010
- ^ a b Glasgow Girls (act. 1880–1920) - Oxford Dictionary of National Biography. (2004). doi:10.1093/ref:odnb/73660 2018年4月24日閲覧。.
- ^ “ExploreArt - Search Results - The Glasgow Girls”. Exploreart.co.uk. 2018年4月23日閲覧。
- ^ The Glasgow Boys: An Exhibition of Work by the Group of Artists who Flourished in Glasgow 1880-1900, Volume 2, Scottish Arts Council, 1968
グラスゴー派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 02:48 UTC 版)
「マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ」の記事における「グラスゴー派」の解説
マクドナルド姉妹とチャールズ・レニー・マッキントッシュおよびその友人で同僚でもあったハーバート・マクネアがいつ出会ったのか正確な時期は不明ながら、おそらく1892年前後、場所は男性陣も通学していたグラスゴー美術学校(マッキントッシュとマクネアは夜学生)、同校のフランシス・ニューベリー校長(Francis Newbery)が4人の制作スタイルの共通点に気づき、紹介したものと考えられる。1894年には学生作品展に4人そろって出品し、全員の合作もあった。評判はまちまちで、マクドナルド姉妹の作品はオーブリー・ビアズリーかぶれと言われ、あるいはごつごつしていて直線的なフォルムは「猟奇的」と評され、「不気味派」というあだ名が付く。やがて1890年台半ばに学校を辞め地元で知名度を得ると「4人組」Glasgow Fourという通り名が付くまでになるが、いったん忘れ去られた。その後、ヴィクトリア朝美術が見直された1960年代、またアール・ヌーヴォーに注目の集まる1970年代に再評価され「グラスゴー派」と呼ばれるにいたる。
※この「グラスゴー派」の解説は、「マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ」の解説の一部です。
「グラスゴー派」を含む「マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ」の記事については、「マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- グラスゴー派のページへのリンク