トーマス・ミリー・ダウとは? わかりやすく解説

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トーマス・ミリー・ダウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/26 00:05 UTC 版)

トーマス・ミリー・ダウ
Thomas Millie Dow
誕生日 (1848-10-28) 1848年10月28日
出生地 イギリス、ディザート(Dysart)
死没年 1919年7月3日(1919-07-03)(70歳没)
死没地 イギリス、セント・アイヴス
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トーマス・ミリー・ダウ(Thomas Millie Dow、1848年10月28日 - 1919年7月3日)は、イギリスの画家である。スコットランドグラスゴー派と呼ばれる画家の一人である[1]

略歴

スコットランド、ファイフのディザート(Dysart)で法律家の一家に生まれ、法律を学んだ。アマチュア画家だった叔父のAlexander Millieに勧められて、法律家になるのをやめ画家を目指した。1877年にパリに出て、パリ国立高等美術学校に入学し、ジャン=レオン・ジェロームの学生になった。1879年からはアカデミー・ジュリアンでも学び、イングランド出身の画家、ウィリアム・ストット(1857-1900)やアメリカ出身のアボット・ハンダーソン・セイヤー(1849-1921)と親友になり、後に「グラスゴー派」の画家として知られることになる、ジェイムズ・パタースン(1854-1932)やジョン・レィヴァリ(1856-1941)、アレクサンダー・ロシュ(1863-1921)、アレキサンダー・マン(1853-1908)といった画家とも知り合い、多くの画家が活動していたバルビゾングレ=シュル=ロワンフォンテーヌブローをスケッチ旅行した。

1878年ころから、エディンバラの王立スコットランド・アカデミーの展覧会やグラスゴー王立美術協会(Royal Glasgow Institute of the Fine Arts)の展覧会に出展を始め、このころは主に水彩やパステルで描いていた。

1883年から1884年にかけてアメリカに旅し、パリ時代の友人のアボット・ハンダーソン・セイヤーのスタジオに滞在し、ハドソン川の風景を描いた。1885年にはスコットランドのダンフリーズシャーにジェイムズ・パタースンと滞在し作品を描いた。1885年から1895年の期間がダウがグラスゴー派の画家たちと最も密接に活動した。国外でも知られるようになり、アメリカで展覧会を開き、ウィーン分離派などの展覧会にも招待された。1888年にはドイツやスイスを旅した。

1891年に子連れの未亡人と結婚し、1894年からグラスゴーからコーンウォールセント・アイヴスに移った。セント・アイヴスでは Louis Grierや and Lowell Dyer らとSt Ives Art Clubを設立した[2]。冬の間はイタリアで過ごした。

1919年にセントアイブスで亡くなった。

作品

脚注

  1. ^ Conservation – Thomas Millie Dow”. University of Dundee. 2011年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月25日閲覧。
  2. ^ Grier, Louis The Studio Vol V (1895). See photograph "Some members" p. 111.

参考文献

  • Martin, David (1976) [1897]. The Glasgow School of Painting. Paul Harris Publishing.



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