ジョン・クイントン・プリングルとは? わかりやすく解説

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ジョン・クイントン・プリングル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/13 22:59 UTC 版)

ジョン・クイントン・プリングル
John Quinton Pringle
自画像(1895年)
誕生日 (1864-12-13) 1864年12月13日
出生地 グラスゴー
死没年 1925年4月25日(1925-04-25)(60歳没)
死没地 グラスゴー
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ジョン・クイントン・プリングル(John Quinton Pringle、1864年12月13日 - 1925年4月25日)は、スコットランドの画家である。グラスゴーで科学機器修理の店を経営しながら、画家として活動し、「グラスゴー派」の画家の一人とされる。

略歴

グラスゴーのDennistounという区域に鉄道会社職員の息子に生まれた。1869年から1874年の間は、父親が駅長を務めた駅のあるグラスゴー近郊のLangbankという村で暮らした。グラスゴーで教育を受け、グラスゴーに住んだ。

1876年に初等教育を終えると、光学機器の修理職人の徒弟となり、20年後に独立し、グラスゴーのGlasgow Crossに光学機器や電気機器の修理の店を開き、その後20年間、画家の仕事をしながら、店を経営した。

1883年から1888年の間、グラスゴー美術学校の夜間クラスや土曜の朝のクラスで絵を学んだ。同時期の夜間クラスで学んでいた学生にグラスゴー派の主要なメンバーであったチャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868-1928)がいた。1901年にロンドンで開かれた全国絵画コンクールで金メダルを受賞した。1902年にはウィーンで開かれた「ウィーン分離派」の展覧会にも出展した。1914年にロンドンのホワイトチャペル美術館(Whitechapel Art Gallery)で展覧会を開いた。

他の「グラスゴー派」の画家たちと同じくフランスの自然主義の画家、ジュール・バスティアン=ルパージュの作品に影響を受けたとされる。100点余りの作品を残し、多くは油絵で、比較的小さな作品で、人物や風景を描いた、

作品

参考文献

  • Dictionary of National Biography, Oxford, (2004) ISBN 0-19-865211-9
  • John Q Pringle 1864-1925-a centenary exhibition (the catalogue) by J Meldrum and A Auld, Glasgow Art Galleries and Museums (1964)
  • Scottish Arts Council Exhibition Catalogue (1981) by J Meldrum and D Brown



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