クレオーンの子
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このヒッポテースは、コリントスの王クレオーンの子で、グラウケーと兄弟。 コルキスの魔女メーデイアがイアーソーンへの復讐のためにクレオーンとグラウケーを殺害したとき、ヒッポテースはアテーナイの法廷でメーデイアを訴えたが無罪となった。なお、メーデイアの子メードスの乗った船が敵対するペルセースの国に流されたとき、メードスはヒッポテースと名前を偽ったという話もある。
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クレオーンの子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 08:06 UTC 版)
クレオーンの子であり、上記の人物の孫。祖父にちなんで名付けられた。ヒュギーヌスとスタティウスによれば、エテオクレースの治世下、七将によるテーバイ攻めが行なわれたころに、クレオーンの息子が城壁から身を投げて自殺した。テイレシアースの予言によれば、スパルトイのうち誰かがアレースへの生贄として死亡すれば、テーバイの町は解放されるだろう、といわれており、それを叶えることとなったのである。その結果、テーバイは勝利した。この戦いについては、アイスキュロスの悲劇『テーバイ攻めの七将』の題材となっている。パウサニアースは2世紀にメノイケウスの墓を訪れ、「メノイケウスはポリュネイケースらがアルゴスから攻めてきた際に、デルポイの神託に従って自殺した。メノイケウスの墓には、ザクロの木が茂っている。もしその熟した実を潰したなら、その中に血の様な液体が詰まっていることが分かるだろう。このザクロの木は未だ生きている」と記している。
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