イアーソーンへの復讐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 09:25 UTC 版)
追放されたイアーソーンとメーデイアはコリントスで幸福に暮らしたが、コリントス王クレオーンに気に入られたイアーソーンは王から娘グラウケー(英語版)を与えられた。そこでイアーソーンはメーデイアと離婚してグラウケーと結婚したが、激怒したメーデイアは結婚の誓約を立てた神々にイアーソーンの忘恩をなじり、グラウケーに毒を浸したペプロス(あるいは魔法の薬で作った黄金の冠)を贈り、それを着たグラウケーは炎に包まれ、助けようとしたクレオーン王とともに王宮もろとも焼け死んだ。さらにメーデイアは2人の息子であるメルメロスとペレースを殺し、ヘーリオスから授かった有翼の竜の戦車に乗ってアテーナイに逃れた。 この復讐劇は後代のエウリーピデースによる脚色であるとも言われる。イアーソーンとメーデイアの間には、7人の息子と7人の娘がいたが、メーデイアが手にかけたのではなく、グラウケーとクレオーンの殺害に憤激したコリントス人たちが、彼らをことごとく捕らえ、石を投げつけて殺したというものである。また、長男のメーデイオスは、イアーソーン同様ペーリオン山のケイローンに養育されていて、難を逃れたともいう。 また、復讐劇は起きなかったとする説もある。パウサニアースによるとコリントスはもともとメーデイアの父アイエーテースの出身地であり、アイエーテースが国政を執った時期があったので、コリントス人は王統が途絶えた後にメーデイアを迎え入れた。しかしメーデイアは子供を不死にしようと考えてヘーラー神殿に隠したが、そのことを知ったイアーソーンはコリントスを去ったため、メーデイアもコリントスをシーシュポスに譲って去ったという。
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