クルージング・スペースとは? わかりやすく解説

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クルージングスペース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/07/14 14:39 UTC 版)

Charles Demuth: Bathhouse and Self-Portrait (1918)
Charles Demuth: Turkish bathhouse (1915)
Pool for men in the Central Bathhouse Vienna 1889

クルージングスペースとは、有料発展場のことであり、特定または不特定の相手との性行為を求める同性愛男性に、出会いと性行為のための場を有料で提供する「性風俗産業」を指す。英語圏では日本でいう発展行為のことを「en:Cruising」などというが、施設名としては発展場のような総称では言わないとされ、「Schwule Sauna」(ドイツ)、「Gay bathhouse」(米国)など営業形態よる名称で呼ばれることが多い。

なお、タイトルがクルージングスペースとなっているが、日本ではそう呼ばれることは少なく[1]、単に「発展場」「発展サウナ」「ビデボー(ビデオボックス)」などがこのような店舗を表す通称となっている。

ここでは日本における有料発展場について記す。公園など野外や公共の場における「発展場」は同項参照。

目次

日本における発展場(有料)

概要

1960年-70年代頃はインラン旅館と呼ばれていたが、その古めかしい旅館が建て替えられ、サウナや個室などを備えた大型施設が登場した頃からハッテンホテルハッテンサウナ、ことに近年はヤリ部屋ゲイサウナなどとも呼ばれることもある。単に発展場と呼ぶ場合、一般の公園などの野外発展場や公衆浴場なども含まれる(そちらは発展場を参照)。欧米では「発展場」のように有料の私設発展場を一括した総称ではなく「Schwule Sauna」「Gay bathhouse」など営業形態に応じた名称でそれぞれ呼ばれることが多い。

歴史的に日本では、ゲイ男性がいわゆる「ナンパ」や「男漁り」、「男探し」をする行為を「クルージング」と称することもあり[2]、有料の室内発展場や公園などの野外発展場のみならず、ゲイバーやゲイディスコも広義のクルージング・ゾーンとみなされることもあった[3]

但しゲイの間では「クルージングに行く」などとは言わず、単に「発展場に行く」という風に使われ、タイトルのクルージングスペースという言葉は一般的ではない。2011年10月の東京・北新宿の「デストラクション」の摘発以来、発展場の規制論が強まっている。

歴史

戦前

戦前も映画館や公園などがゲイ男性の出会いの場になっていたといわれ、遅くとも大正期には発展場は存在していた[4](それより前は未検証)。一例として江戸川乱歩『一寸法師』(昭和2年)には、これは野外発展場であるが、浅草公園(実際のモデルは上野公園ともいわれるが未検証)に深夜たむろすゲイが描かれている[4]。また明治時代に刊行されたグラビア誌「風俗画報」にも「男色 笹の屋」(明治26年9月など)という記事があるが、笹の屋が今でいう発展場のようなものだったのか、男娼を置いた陰間茶屋だったのかは検証されていない[5]

戦後直後

戦後直後から1960年代頃までは、東京では、出会いや発展の場といえば野外の公園やトイレ(事務所)、映画館の暗がりなどが中心で、「男娼の森」といわれた上野公園や、日比谷公園信濃町駅最寄りの権田原などが有名だった[4]。上野公園で、ある夜警視総監が見回ったら男娼の一人に殴られたというエピソードがあり、日比谷公園は相手を求めるゲイで夜ごと賑わい、中には米軍人もいたという[4]。また各地には発展できる映画館もでき始めていた。1950年代(昭和20-30年代)には、東京鴬谷に淫乱旅館の「砂川屋」ができて[6]大阪には「竹の屋」ができた。また東京池袋にも西武園(1958年)ができた(1950年代には他にも淫乱旅館はあったとされるが未検証)。だが、アドニス風俗奇譚の男色記事[7]などの例外を除き商業ゲイ雑誌のない時代であり、旅館の場所は発展公園・映画館などで会った人から口コミで教わるしかなく、殆どのゲイには知られていなかった[8]

1950年代-1970年代

このように1950年代頃は、東京や大阪は発展旅館(その頃は淫乱旅館)の黎明期であり、1970年代頃から急激にその数を増やしたとされる。そして全国流通し始めていたゲイ雑誌に特集記事[9]や広告として紹介され、徐々に形成されつつあったメディアを介したゲイマーケットに組み込まれていく。こうして発展旅館は(ゲイ雑誌を読んだ)多くのゲイに知られることとなった。東京には、浅草の大番・24旅館、上野の大番・大宝(後の大宝サウナ)・双美家・一条・大泉、渋谷の千雅(1975年)、新橋の銀座ビジネスイン、池袋の西武園(1958年)[10]・泉(後のJIN-YA、1976年)などができはじめた。新宿は歌舞伎町に大番(旧コマ劇の北側)ができたが、発展旅館の多くは大久保に集中していた。その中には新宿ビジネスイン、新宿ビジネスクラブ、旅荘法師、新大久保のホテル・キャンパスがあり、四谷にも料亭を改造した「たま井」が60年代には開店していた。大阪はロイヤルや北欧館などができていった。淫乱旅館の一部はその後建て替えられ、サウナや浴場、個室などを備えた清潔な大型発展施設になった。

1980年代

古めかしい発展旅館、そして大型発展ホテルを経て、1980年代はクルージングスペースができ始める。だが当時の二丁目はゲイバーやディスコが中心で、クルージングスペースといえば仲通りと新宿通り交差点の「スカイジム」(ラシントンパレスに81年開店)があったくらいで、少し離れた歌舞伎町「ダムアダム(damAdam)」(新宿区役所から路地一つ挟んだ北)[11]、要町(新宿三丁目)「かぶきサウナ」、四谷三丁目「バスストップ」(旧春樹)を含めても多くはなかった。因みにラシントンパレスがホテルだった頃、そこにロラン・バルトミシェル・フーコーが定宿して二丁目のゲイバーに繰り出していた[12]

1990年頃以降

バブルの1990年前後頃から雑居ビルやマンションの一室に開いたビデオボックス(ビデボー)や簡易クルージングスペースなど、新しいスタイルの発展場が激増する。客層が比較的若いのが特徴で、秋葉原「ビックマン」(80年代後半開店、SG系・着衣系)や新中野「ロン」、二丁目では「AmsTrip」(90年頃開店、着衣系)、「バナナプラント」(脱衣系)、「ブラックボックス」(着衣系)、「バックドロップ」(着衣系)、「パラゴン」(93年開店,脱衣系)、テレビ電話を導入した「DuO(デュゥオ)」(新宿一丁目,着衣系)などができた。その後も発展場は出来ては消えるなどしたが、2003年2月には新宿24会館ができている。

店舗概要

一般的には、大部屋(ミックスルーム)と複数の個室を備えた店が多い。建物の全フロアが発展場になっている大型店は、浴室やサウナ、レストルーム、個室などの設備が充実しており、宿泊客の比率が高い。

ノンケ(異性愛者)や女性の誤入場を防ぐため、ゲイバー等と同様、入口に「会員制」等の表記がされる場合が多い。実際には年齢制限等の条件を満たすゲイならば誰でも入場可能だが、入会金や年会費を徴収する店もいくつか存在する。

利用料金は、小規模な店舗の多くが1,000~2,000円、大規模店で2,500~3,000円と低額で、途中で抜けても再入場が可能な店もある。店によってはスポーツジム利用者若いイケメンなど、その店のコンセプトに合った人だと割引されることがある。早朝・デイタイムの割引もしばしば行われる。

特殊設備

店内には特有の特殊設備を設置している場合もある。

  • トレーニングマシン
  • サンタンマシン
  • ケツ掘りブランコ: アナルセックスしやすいよう、臀部を露出して開脚仰臥できる構造のハンモック
  • 迷路: 出会いの補助目的で、真っ暗で相手が見えない迷路が設置される。
  • PC: 出会い系サイトや店の公式サイトで待ち合わせ(来店の呼びかけ)をするなどの目的のために設置されている。悪用厳禁。
  • シャワーつきトイレ: 一般的な温水洗浄便座のほか、腸洗浄に適したシャワー(店舗によっては、ホースのみ)が設置されている場合がある。
  • グローリーホール:シャワーブースやトイレなどには、隣の個室との間に覗き穴があいている場合がある。使用方法の詳細は、下記「ビデオボックスタイプ」の項を参照のこと。

種類

店舗の形態による種別

  • ヤリ部屋タイプ: ミックスルーム、個室(基本的に無料)、簡易シャワーなどを備える。マンションの一室で経営している場合もある。
  • サウナ公衆浴場タイプ: 上記に浴場やサウナなどを併設する。欧米ではこちらが主流といわれる。
  • ホテルタイプ: 上記に加え、比較的多数の有料個室を持つ。軽食スペースやレストルームも備えてある。「24会館」「大番」「北欧館」等が有名。日本の大型発展場はこのタイプが主流。
  • ビデオボックスタイプ: 受付でゲイビデオをレンタルし(レンタルしない店もある)、店内の個室に設置したモニタで見られる。着衣系が比較的多いとされる。壁に穴が開けられていて性行為もできるようになっている。隣室の客と手紙交換し移動して性行為に及んだりできる。個室のほかに迷路や自由スペースなどがある。
  • 映画館タイプ: ゲイ・ポルノ映画が上映されているが、館内でハッテンもできるようになっている。
  • バータイプ: バーカウンターを設置しバーテンダーウェイターが飲食物の提供もする。
  • インターネットカフェタイプ: 着衣系が比較的多いとされ、パソコン・ゲイ雑誌・漫画やゲーム等が設置されている。
  • かつて主流だった形態
    • インラン旅館: 古い旅館の風情で、1950年代~70年代前半に隆盛した。その後一部は建て替えられ大型発展サウナ・ホテルになった。地方や東京でも鴬谷など一部に残っているとされる。

営業許可は上記の営業形態、規定の内容に準じて取得される。

体型・年齢別

入場者の体型を指定したり、体型ごとのコンセプトを打ち出している店がある。

  • 体型別 - デブ・ガッチリ・熊系・スポーツマン/スジ筋など。(種類の意味は「ゲイ用語」を参照)
  • 年齢別 - 若専や年配者が多い店などがある。

未成年の入場を防ぐため、入場者本人の学生証運転免許証の提示を求めることがある。また店によってはコンセプトに合わない客の入店を断っている。

趣味嗜好別

店により曜日ごとにイベントを開催し、ドレスコードや髪型(短髪限定等)などを指定していることがある。指定のコスチュームなどは店側が貸し出す場合もある。性的嗜好に合わせて、下記の様な店やイベントがある。

  • 短髪限定
  • 髭限定
  • アンダーウェア - ケツ割れサポーター・ビキニ(競パン)着用
  • 全裸
  • 六尺褌
  • スポーツユニフォーム - サッカーユニフォーム・野球ユニフォームなど

一部に女装をする男性同性愛者の入店が可能な店や、女装する設備のある店も数は少ないが存在する。

立地

大都市圏に集中している。ゲイ・タウンと呼ばれるようなゲイ向けの店舗が多い場所や、交通の便のよいターミナル駅の近くで営業していることが多い。

世界の発展場

欧米

欧米では「Gay bathhouse」(ゲイ浴場、またはゲイサウナやスチームバス)などと呼ばれる。これは男性同士で性行為をするための商業浴場のことである。一部の地域でやゲイのスラングでは、これらの施設は 「バス」「サウナ」「タブ」などとして知られているが、公衆浴場と混同してはならない。浴場のサイズや部屋の数などは様々で、スチームバス、ジャグジー、そして時にはプールがあることもある。

欧米におけるゲイ浴場の歴史

男たちがSEXのために浴場で出会っていたという記録は15世紀まで遡る。公衆浴場の記録は紀元前6世紀まで遡るが、古代のギリシャに同性愛者の行動について多くの記録がある。

欧米のゲイは、遅くとも19世紀後半~20世紀初頭には性行為の目的で浴場を使っている。その頃、殆どの欧米諸国では同性愛行為は違法だったため、同性愛行為が見つかると、しばしば逮捕されたり公的な辱めを受けた。男たちは他の男と性行為の為に出会える浴場や公園、路地、電車やバスの駅、映画館、公衆トイレ(小屋または喫茶室)、体育館の更衣室のようなクルージングエリアにしばしば行き始めた。そのため一部の浴場は常連客の同性愛行為を防ごうとした。

初期の記録

1492年 イタリア・フィレンツェ

フィレンツェでは1492年、「ソドミーの悪徳」に対する追放が行われた。 同性愛行為が行われた場所は、居酒屋、浴場などだったが、 1492年4月から1494年2月までの短い間に、同性愛関係のために、44人の男性に有罪判決を受けた。

1876年 パリ

パリの浴場で最初に記録された警察の家宅捜索では1876年にあった。 22から14歳の男性6人が、公序良俗や少年愛を容易にしたことなどの罪で起訴された。

1903年 ニューヨーク

1903年2月21日に米国では、ニューヨーク警察が、ゲイ浴場として知られたアリストンホテルの浴場に最初にがさ入れを行った。 その中で26人がソドミーの容疑で逮捕され、12が裁判にかけられた。また7人が4から20年の懲役の判決を受けた。

脚注

  1. ^ Badi(1998年3月号)の広告ではストリートウェブと501の2店(現在共に閉店)のみがタイトルやサブタイトルにクルージングの言葉を使っているだけで、他は全てハッテン・発展場と紹介している。
  2. ^ 「オトコノコのためのボーイフレンド」(1986年、少年社)P191「ゲイボキャブラリー」。
  3. ^ オトコノコのためのボーイフレンド」(1986年、少年社)には、クルージングゾーンとして屋内外の発展場のほか、ゲイバー・スナックが紹介されている(P80)。
  4. ^ a b c d オトコノコのためのボーイフレンド」(1986年、少年社)P58。
  5. ^ 風俗画報原本は明治大学駿河台図書館などに所蔵。
  6. ^ 「砂川屋」は直後に火災で消失するが、いつできたのかなど詳細は未検証である。
  7. ^ 風俗奇譚にはゲイに出会いを提供する文通欄があり、発展旅館の広告も載っていた。また1963年の号には「全国ホモのハッテン場」という記事がある。但し竹の家の広告や紹介があったかは未検証。
  8. ^ 但し風俗奇譚の男色ページや広告に出ていた可能性はあるが未検証。
  9. ^ 薔薇族(1975年11月号)「ノンケ紳士のゲイホテル潜入記」で渋谷・千雅を紹介。
  10. ^ 西武園広告。
  11. ^ ダムアダム広告。
  12. ^ 『フーコーとクイア理論』 (岩波書店,2004年)。

関連項目


有料発展場

(クルージング・スペース から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/12 11:05 UTC 版)

有料発展場(ゆうりょうはってんば)とは、ゲイ男性に出会いと性行為のための場を有料で提供する「性風俗産業」を指す。新宿二丁目の公園など、ゲイ同士の出会いの場は発展場と呼ばれてきたが、その有料版である。片仮名で「ハッテンバ」と書くこともある。

日本では、単に「発展場」「発展サウナ」「ビデボー(ビデオボックス)」などがこのような店舗を表す通称となっている[1]

なお、公園など野外や公共の場における発展場は同項参照!

日本

概要

1960年-70年代頃はインラン旅館と呼ばれていたが、その古めかしい旅館が建て替えられ、大浴場や個室などを備えた大型施設が登場した頃からハッテンホテルハッテンサウナ、ことに近年はヤリ部屋ゲイサウナなどとも呼ばれることもある。単に発展場と呼ぶことも多いが、その場合一般の公園などの野外発展場も含まれる。

古くは1960年に創刊された風俗奇譚にインラン旅館の広告が発見できる。ゲイ男性がいわゆる「ナンパ」や「男漁り」、「男探し」をする行為は、発展のほか「クルージング」と称することもあり[2]、有料の室内発展場や公園などの野外発展場のみならず、ゲイバーやゲイディスコも広義のクルージング・ゾーンとみなされることもあった[3]。2011年10月の東京・北新宿の「デストラクション」の摘発以来、発展場の規制論が強まっている。1980年代以降のエイズ禍を経て、こうした施設ではコンドームが配布されたり、徹底したセーファーセックスが呼びかけられるようになっている。他方で、一部の発展場ではコンドームを使用しない性行為があるとされ、HIVなど性感染症の広がりを危惧する声もある。

歴史

戦前

明治時代に刊行されたグラフ誌「風俗画報」にも「男色 笹の屋」(1893年《明治26年》9月など)という記事があるが、その周辺では今でいう発展のようなことが行われていたのかは検証されていない[4]

戦後直後 - 1960年代

日比谷公園など公共の発展場は既にあったが、有料発展場ができ始めたのは1950年(昭和20-30年)代頃とされる。東京には淫乱旅館の「砂川屋」ができて[5]大阪には1953年頃に「竹の屋」ができた。少し後れて東京池袋にも西武園(1958年,後西武苑)[6]ができている。1950年代は他にも淫乱旅館があった可能性はあるとされるが未検証である。

この頃はアドニス風俗奇譚の男色記事[7]などの例外を除いて、商業ゲイ雑誌のない時代であり、旅館の場所は発展公園・映画館などで会った人から口コミで教わるしかなく、殆どのゲイには知られていなかった。因みに1961年10月号の風俗奇譚には「ホモの窓:三都のホモ旅館」という記事がある。

1960年代 - 1970年代

このように1950年代頃は、東京や大阪は発展旅館(その頃は淫乱旅館)の黎明期であり、1970年代頃にかけてその数を増やしたとされる。1971年に薔薇族が創刊され全国流通し始めると、発展場の特集記事や広告が載り、徐々に形成されつつあったゲイマーケットに組み込まれていく。一例として、薔薇族「ノンケ紳士のゲイホテル潜入記」(1975年11月号)で渋谷の「千雅」という淫乱旅館が紹介された。こうして発展旅館は(ゲイ雑誌を読んだ)多くのゲイに知られることとなった。

1980年代

古めかしい発展旅館、そして大型発展ホテルを経て、1980年代はクルージングスペースができ始める。だが当時の二丁目はゲイバーやディスコが中心で、クルージングスペースといえば仲通りと新宿通り交差点の「スカイジム」(ラシントンパレスに81年開店)があったくらいで、少し離れた歌舞伎町「ダムアダム(damAdam)」(新宿区役所から路地一つ挟んだ北)[8]、要町(新宿三丁目)「かぶきサウナ」、四谷三丁目「バスストップ」(旧春樹)を含めても多くはなかった。因みにラシントンパレスがホテルだった頃、そこにロラン・バルトミシェル・フーコーが定宿して二丁目のゲイバーに繰り出していたことで知られる[9]。大阪では「GYM」という発展サウナが有名だった。

1990年頃以降

東京都内ではまず秋葉原「ビックマン」(80年代後半開店、SG系・着衣系)や新中野「ロン」(ビデボ)、五反田「ヤングマン」(脱衣系)など、二丁目では「AmsTrip」(90年頃開店、着衣系)、「バナナプラント」(脱衣系)、「ブラックボックス」(着衣系)、「バックドロップ」(着衣系)、「パラゴン」(93年6月開店、脱衣系)、テレビ電話を導入した「DuO(デュゥオ)」(新宿一丁目、94年頃開店、着衣系)などができた。更に年を追う毎に渋谷「Gスタジオ」(ビデボ)、代々木「PUMA」(ビデボ)、初台「CLUB BAD BOY」(脱衣系)、中野坂上「エルゴライン」(脱衣系)、大久保「ドーベルマン」(ビデボ→脱衣系)や「ドラゴン」(脱衣系)など徐々に新宿から放射状に展開されていき、神保町「ピュアエリア」(脱衣系)、御徒町「Aスタジオ」(着衣系)、三田「BUNKER」(脱衣系)、虎ノ門「虎ノ門クラブ」(着衣系)、内幸町「ビッグワン」(着衣系)、八重洲「ゲートイン」(脱衣系)など山手線の東エリアにはリーマン系をコアとする店が増えて行った。

大阪には難波「MEN'S FESTIVAL」(4階建て発展場)、湊町「CRAZY-8」(ビデボ)、難波「IN OUT IN」(ビデボ)、難波「Dick Dive」、堂山「Gプラッツ」(ビデボ)、中崎町「男子寮」、堂山「ジャングルボックス」、中崎町「FOX」、堂山「BIKES」、南方「スクール of Secret」(5階建て大型サウナ)、大国町「S・M・C」(サウナ)などができた[10]

年代不明(地方都市)

そのほか開店した年代は不明だが(ノート参照・情報求む)、名古屋にはドンバラ会館(現コロナクラブ)、広島など地方都市にも「喜楽会館」、札幌には「三船会館」などができていった。喜楽会館は本店が広島に所在し、チェーン店化することで全盛期には18店舗を展開していた[11]

問題

2011年10月、東京都新宿区北新宿のハッテン場「デストラクション」経営者が、公然わいせつほう助の疑いで逮捕された。 同事件の端緒は、発展場内で覚醒剤など違法薬物を使用するものが少なからず存在すると言う推定の下に内偵が行われ、結果として公然わいせつほう助の疑いに留まったと指摘されている。 同事件発生後、都内の発展場において、全裸指定から下着着用指定に規定を切り替える店舗が相次いだ。 現在は、全裸指定を解禁する店舗も存在する。 [12]

欧米

欧米圏では日本でいう発展行為のことを「en:Cruising」などというが、施設名としては発展場のような総称では言わないとされ、英語圏は「Gay bathhouse」(ゲイ浴場、またはゲイサウナやスチームバス)、ドイツは「Schwule Sauna」など、営業形態による名称で呼ばれることが多い。これは男性同士で性行為をするための商業浴場のことである。一部の地域やゲイのスラングでは、これらの施設は 「バス」「サウナ」「タブ」などとして知られているが、公衆浴場と混同してはならない。浴場のサイズや部屋の数などは様々で、スチームバス、ジャグジー、そして時にはプールがあることもある。

欧米におけるゲイ浴場の歴史

男たちがSEXのために浴場で出会っていたという記録は15世紀まで遡る。公衆浴場の記録は紀元前6世紀まで遡るが、古代のギリシャに同性愛者の行動について多くの記録がある。

欧米のゲイは、遅くとも19世紀後半~20世紀初頭には性行為の目的で浴場を使っている。当時、男性たちは、他の男性と性行為の為に出会える浴場や公園、路地、電車やバスの駅、映画館、公衆トイレ(小屋または喫茶室)、体育館の更衣室のようなクルージングエリアにしばしば行き始めた。そのため一部の浴場は常連客の同性愛行為を防ごうとした。その頃、殆どの欧米諸国では同性愛行為は違法だったため、同性愛行為が見つかると、しばしば逮捕されたり公的な辱めを受けた。

初期の記録

1492年 イタリア・フィレンツェ

フィレンツェでは1492年、「ソドミーの悪徳」に対する追放が行われた。 同性愛行為が行われた場所は、居酒屋、浴場などだったが、 1492年4月から1494年2月までの短い間に、同性愛関係のために、44人の男性に有罪判決を受けた。

1876年 パリ

1876年にパリの浴場で警察の家宅捜索が行われたという最初の記録がある。 22歳~14歳の男性6人が、公序良俗違反や少年愛を容易にしたことなどの罪で起訴された。

1903年 ニューヨーク

1903年2月21日に米国では、ニューヨーク警察が、ゲイ浴場として知られたアリストンホテルの浴場に最初にがさ入れを行った。 その中で26人がソドミーの容疑で逮捕され、12人が裁判にかけられた。この中7人が4年~20年の懲役の判決を受けた。

脚注

  1. ^ Badi(1998年3月号)の広告ではストリートウェブと501の2店(現在共に閉店)のみがタイトルやサブタイトルにクルージングの言葉を使っているだけで、他は全てハッテン・発展場と紹介している。
  2. ^ 「オトコノコのためのボーイフレンド」(1986年、少年社)P191「ゲイボキャブラリー」。
  3. ^ オトコノコのためのボーイフレンド」(1986年、少年社)には、クルージングゾーンとして屋内外の発展場のほか、ゲイバー・スナックが紹介されている(P80)。
  4. ^ 風俗画報原本は明治大学駿河台図書館などに所蔵。
  5. ^ 「砂川屋」は直後に摘発されて廃業するが、いつできたのかなど詳細は未検証である。
  6. ^ 1998年のBadiの西武苑の広告に「当館は今年で40周年を迎えました」とある。西武園広告。
  7. ^ 風俗奇譚にはゲイに出会いを提供する文通欄があり、発展旅館の広告も載っていた。また1963年の号には「全国ホモのハッテン場」という記事がある。但し竹の家の広告や紹介があったかは未検証。
  8. ^ ダムアダム広告。
  9. ^ 『フーコーとクイア理論』 (岩波書店,2004年)。
  10. ^ Badi(1997年4月号)。
  11. ^ Badi1997年4月号の喜楽会館の広告によると、札幌、仙台、新潟、金沢、静岡、浜松、岡山、福山、広島、高松、松山、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島の各店、及びグース会館として小倉、沖縄店。現在一部を除き多くは閉店。
  12. ^ 「「ハッテンバ」危うい密室」 2012年2月1日03時00分、朝日新聞。

関連項目


クルージングスペース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 17:28 UTC 版)

ゲイ用語」の記事における「クルージングスペース」の解説

有料発展場のこと。入場年齢制限や、下着のみ・ユニフォーム競泳パンツ全裸など、日によって利用する際の服装決まっている場合がある。→クルージングスペース

※この「クルージングスペース」の解説は、「ゲイ用語」の解説の一部です。
「クルージングスペース」を含む「ゲイ用語」の記事については、「ゲイ用語」の概要を参照ください。

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