クィルバック (潜水艦)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > クィルバック (潜水艦)の意味・解説 

クィルバック (潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/17 01:45 UTC 版)

艦歴
発注:
起工: 1944年6月27日[1]
進水: 1944年10月1日[1]
就役: 1944年12月29日[1]
1953年2月27日[1]
退役: 1952年4月[1]
1973年3月23日[1]
除籍: 1973年3月23日[1]
その後: 1974年3月21日にスクラップとして売却[1]
性能諸元
排水量: 建造時
1,570 トン(水上)[2]
2,414トン(水中)[2]
GUPPY II改装後
1,870 トン(水上)[3]
2,440トン(水中)[2]
全長: 建造時
311 ft 8 in (95.00 m)(全長)[2]
GUPPY II改装後
307 ft (93.6 m)(全長)[4]
全幅: 27 ft 4 in (8.33 m)[2][4]
吃水: 17 ft (5.2 m)(最大)[2][4]
機関: フェアバンクス=モース38D8-1/8型10気筒対向型ディーゼルエンジン4基[2][5]
エリオット・モーター2,740馬力発電機2基[2]
最大速: 建造時
水上:20.25 ノット (38 km/h)[6]
水中:8.75 ノット (16 km/h)[6]
GUPPY II改装後
水上:18 ノット (33.3 km/h)(最大)[7]
水中:9 ノット (16.7 km/h)(シュノーケル使用)[7]
航続距離: 建造時
11,000カイリ(10ノット時)
(19 km/h 時に 20,000 km)[6]
GUPPY II改装後
15,000カイリ(10ノット時)
(20 km/h 時に 28,000 km)[4]
巡航期間 建造時
潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間[6]
GUPPY II改装後
潜航4ノット (7 km/h) 時48時間[4]
試験深度: 400 ft (120 m)[6]
乗員: 建造時
士官10名、兵員71名[6]
GUPPY II改装後
士官15名、兵員70名[4]
兵装: 建造時
5インチ砲1基、40ミリ機関砲1基、20ミリ連装機銃1基、20ミリ単装機銃1基、50口径機銃4基[8]
21インチ魚雷発射管10基
GUPPY II改装後
21インチ魚雷発射管10基[4]

クィルバック (USS Quillback, SS-424) は、アメリカ海軍潜水艦テンチ級潜水艦の一隻。艦名はサッカー科の淡水魚クィルバックに因む。

クィルバック(Quillback

艦歴

本艦は建造が認可された当初、艦名はシビレエイ目の一種ブラジリアン・エレクトリック・レイの通称トレンブラー (Trembler) と命名される予定であったが、1943年12月7日に変更された。クィルバックは1944年6月27日にメイン州キタリーポーツマス海軍造船所で起工した。1944年10月1日にJ・A・タイリー・ジュニア夫人によって命名され、1944年12月29日に艦長リチャード・P・ニコルソン少佐(アナポリス1937年組)の指揮下就役する。コネチカット州ニューロンドンでの訓練のかたわら、フロリダ州キーウェストでの兵站局英語版による実験プロジェクトに参加[9]。プロジェクト終了後、クィルバックは真珠湾に向けて出航し、5月1日に到着した[9]

哨戒

5月30日、クィルバックは最初の哨戒で日本近海に向かった。サイパン島までの道中はシルバーサイズ (USS Silversides, SS-236) 、レッドフィン (USS Redfin, SS-272) と各種訓練を行った[10]。6月11日にサイパン島タナパグ湾英語版に寄港し、翌12日にシルバーサイズ、カブリラ (USS Cabrilla, SS-288) と出航[11]豊後水道入口沖の島近海の哨区に到着した[12]。7月2日、クィルバックは北緯32度13分 東経133度12分 / 北緯32.217度 東経133.200度 / 32.217; 133.200の地点で魚雷艇と思われる艦船を発見し、砲撃で撃沈[13]。また、沿岸から0.5マイルの海上で一人のパイロットを救助した。7月24日、クィルバックは53日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。

クィルバックは、2回目の哨戒に向けてアプラ港で整備中に終戦となった。

戦後

戦後のクィルバックは、平時任務としてニューロンドンで第2潜水戦隊に所属し活動した。1945年から51年まで潜水艦学校の訓練任務に従事し、海軍水中聴音研究所の実験任務を行う。1951年4月にニューロンドンを出航し、地中海での第6艦隊との任務に就く。クィルバックは1952年4月にポーツマス海軍造船所でGUPPY改修が行われた。

改修が完了するとクィルバックは1953年2月27日に再就役し、大西洋艦隊潜水艦部隊に合流する。クィルバックはキーウェストの第4潜水戦隊に配属された。グアンタナモ湾への何度かの巡航と沿岸での作戦活動を行い、クィルバックは駆逐艦対潜水艦戦部隊の艦隊訓練グループを支援した。1956年、57年、58年にクィルバックは北大西洋での大規模艦隊演習およびNATOの演習に参加した。

1959年に第12潜水戦隊へ転属となり、1960年にはサウスカロライナ州チャールストンで、攻撃能力向上のための広範囲オーバーホールが行われた。1961年10月に地中海へ展開し、1962年2月にキーウェストに帰還する。キーウェストでは5月から10月まで活動し、キューバ危機が発生するとグアンタナモ湾へ展開する。1963年はキーウェストで活動し、グアンタナモ湾での艦隊訓練グループの支援を行う。

クィルバックは1964年7月から6ヶ月地中海へ展開した。1965年には水雷研究開発プロジェクトの実験任務が割り当てられ6月まで同任務に従事、その後グアンタナモ湾に展開する。キーウェストでの作戦活動後、1967年8月から11月まで地中海に再び展開した。1968年と69年は大半をカリブ海での活動で過ごす。

クィルバックは1973年3月23日に除籍され、1974年3月21日に売却された。

クィルバックは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。

脚注

参考文献

  • (issuu) SS-424, USS QUILLBACK. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-424_quillback 
  • Blair,Jr, Clay (1975). Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan. Philadelphia and New York: J. B. Lippincott Company. ISBN 0-397-00753-1 
  • Bauer, K. Jack; Roberts, Stephen S. (1991). Register of Ships of the U.S. Navy, 1775-1990: Major Combatants. Westport, Connecticut: Greenwood Press. pp. 280-282. ISBN 0-313-26202-0 
  • Friedman, Norman (1995). U.S. Submarines Through 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. ISBN 1-55750-263-3 
  • Friedman, Norman (1994). U.S. Submarines Since 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. ISBN 1-55750-260-9 

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クィルバック (潜水艦)」の関連用語

クィルバック (潜水艦)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クィルバック (潜水艦)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクィルバック (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS