ギリシア南部出兵・即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:06 UTC 版)
「アレクサンドロス3世」の記事における「ギリシア南部出兵・即位」の解説
詳細は「アレクサンドロス大王のバルカン遠征(英語版)」、「ペリウム包囲戦(英語版)」、および「テーバイの戦い(英語版)」を参照 紀元前338年、アレクサンドロスは一軍の将として父に従ってギリシアの南部に出兵しカイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破る。これが彼の初陣であったが、このときアレクサンドロスは精鋭の騎兵を率いてアテナイ・テーバイ軍を壊乱させ、マケドニアの勝利に大きく貢献した。父ピリッポス2世はこれによってギリシア諸ポリスにコリントス同盟(ヘラス同盟)を締結させ全ギリシアの覇権を握ると、続いてペルシアへの東征を計画したが、紀元前336年に護衛のパウサニアス(英語版)に暗殺された。 20歳の若さでマケドニア王を継承したアレクサンドロスは、敵対者を排除してマケドニアを掌握すると、トラキア人と戦うためにイストロス川方面に遠征して成功をおさめ、その隙に反旗を翻したテーバイを破壊し、父王暗殺後に混乱に陥っていた全ギリシアに再び覇を唱えた。ギリシアの諸ポリスを制圧したアレクサンドロスは、マケドニア本国の押さえを重臣アンティパトロスに任せた。
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