ギリシア人の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/25 13:17 UTC 版)
アレクサンドロス大王率いるマケドニア王国軍がインドに侵入した際、パンジャーブ地方のアケシネス川(現:チナーブ川)下流域に住んでいた部族についてギリシア人の記録がある。この部族は記録者によって呼称が異なるがアバスタノイ、サンバストイ、サバルカエ、サバグラエなどと記録されている。クルティウスはこの部族について「王によってではなく、人民によって治められていた。」と記し、人口、武勇においてもインドの他の部族に劣らず、民主制的な統治制度を持っているとしている。 またアリアノスの記録ではカタニア、オクシュドラカイ(クシュドラカ)、マロイ(マーラヴァ)という3つの部族はそれぞれ「共和国」を形成していると記している。このうちオクシュドラカイ、マロイについてはインドの文法学者パタンジャリの記録に、サンガを形成しているとするものがあり、ギリシア人がサンガと呼ばれるインドの政体を「民主制」と理解したことが解される。
※この「ギリシア人の記録」の解説は、「ガナ・サンガ国」の解説の一部です。
「ギリシア人の記録」を含む「ガナ・サンガ国」の記事については、「ガナ・サンガ国」の概要を参照ください。
- ギリシア人の記録のページへのリンク