ガンダーラ王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 05:21 UTC 版)
「ガンダーラ」も参照 カブール河岸からインダス河口までをその疆域としていた。その領域はペシャーワル渓谷として知られている。のちの時代にガンダーラ人はインダス河を越え、パキスタンのパンジャーブ州北西部をも領土に含めた。ペルシアと中央アジアの重要な交通路であったガンダーラは国際的な商業都市として繁栄した。時代によって、ペシャワール渓谷とタクシラ、スワート渓谷(英語版)をまとめてガンダーラの領域に含めることがあるが、中心地は常にペシャワール渓谷であった。王国の首都はチャールサダ、タクシラ、ペシャワール、末期にはインダスのフントに置かれた。 カシミール地方やタクシラの周辺に勢力を持ったガンダーラ国は紀元前6世紀後半にはアケメネス朝ペルシアの支配下に入っていた。ダレイオス1世の碑文にはガンダーラを支配下においていたことが書かれている。こうした点において、インドの他の地域とは異なる運命に置かれた国である。ギリシア人の記録にはガンダーラ人は葦の弓と短槍を用いたとある。また、その経済的繁栄を背景に後に仏教揺籃の地となった。
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