キャムローズ子爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/26 13:23 UTC 版)
キャムローズ子爵 Viscount Camrose |
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Crest: A griffin sejant reguardant Sable collared Or. Escutcheon:Argent three bars Gules over all a pile Ermine. Supporters:On either side a wolf Proper gorged with a collar Or pendent therefrom an escutcheon Sable charged with two pens in saltire Argent.
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創設時期 | 1941年1月20日 |
創設者 | ジョージ6世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代子爵ウィリアム・ベリー |
現所有者 | 3代子爵ジョナサン・ベリー |
相続人 | ヒューゴ・ベリー閣下 |
付随称号 | キャムローズ男爵 (ハックウッド・パークの)準男爵 |
現況 | 存続 |
モットー | 善行に生きよ (Vivere Virtute) |
キャムローズ子爵(英: Viscount Camrose)は、イギリスの子爵、貴族。連合王国貴族爵位。実業家ウィリアム・ベリーが1941年に叙されたことに始まる。なお、弟ゴーマーも1936年にケムズリー男爵(のち子爵)に叙されたため、兄弟そろって貴族となった。
歴史

ウィリアム・ベリー(1879-1954)は、弟ゴーマーととも数々の英大手新聞社を買収した実業家である[1]。ベリー兄弟率いる新聞紙面の論調としては、ポピュリズムに走りがちなビーヴァーブルック男爵(『デイリー・エクスプレス』)、ロザミア子爵(『デイリー・メール』)の各新聞と違い、一貫して政府を支持し、保守本流を支えるスタンスだった[1]。そのため保守党のスタンリー・ボールドウィン首相と親しく、やがて兄弟そろって爵位を与えられることとなる。まず兄の方が貴族に叙されることとなり、1921年に連合王国準男爵位の(ハンプシャー州ハックウッド・パークの)準男爵(Baronet, of Hackwood Park, in the County of Hampshire)に授けられた[2][3]。さらに『デイリー・テレグラフ』紙の経営権を得た翌年の1929年、連合王国貴族としてサリー州ロング・クロスのキャムローズ男爵(Baron Camrose, of Long Cross in the County of Surrey)に叙された[註釈 1][2][4]。さらに1941年にはサウサンプトン州ハックウッド・パークのキャムローズ子爵(Viscount Camrose, of Hackwood Park in the County of Southampton)に陛爵している[2][5]。
初代子爵ののちは、その息子ジョンが爵位を継承した。2代子爵ジョン(1909-1995)が嗣子なく没すると、爵位は弟ウィリアムの系統に移行することとなった[2]。
ウィリアム・マイケル・ベリー(1911-2001)[註釈 2]は父祖の新聞事業を引き継いで活動したほか、1968年1月19日に一代貴族たるシティ・オブ・オンドンにおけるピーターバラ・コートのハートウェル男爵(Baron Hartwell, of Peterborough Court in the City of London)に叙せられている[2][6]。彼は最晩年(1995年)に兄ジョンの死去に伴って、キャムローズ子爵を継承すると同時に、1963年貴族法に基づいて爵位一代放棄を行った[註釈 3][2][7]。彼が2001年に没すると、ハートウェル男爵は消滅した[2]。
その孫にあたる5代子爵ジョナサン(1970-)が2020年現在のキャムローズ子爵家現当主である[2]。
現当主の保有爵位/準男爵位
現当主である第5代キャムローズ子爵ジョナサン・ウィリアム・ベリーは、以下の爵位を有する[2]。
- 第5代サウサンプトン州ハックウッド・パークのキャムローズ子爵(5th Viscount Camrose, of Hackwood Park in the County of Southampton)
(1941年1月20日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第5代サリー州ロング・クロスのキャムローズ男爵(5th Baron Camrose, of Long Cross in the County of Surrey)
(1929年6月19日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第5代(ハンプシャー州ハックウッド・パークの)準男爵(5th Baronet, of Hackwood Park, in the County of Hampshire)
(1921年7月4日の勅許状による連合王国準男爵位)
キャムローズ子爵(1941年)
- 初代キャムローズ子爵ウィリアム・ユワート・ベリー (1879–1954)
- 第2代キャムローズ子爵ジョン・シーモア・ベリー (1909–1995)
- 第3代キャムローズ子爵ウィリアム・マイケル・ベリー (1911–2001) (1968年ハートウェル男爵叙爵、1995年に爵位一代放棄)
- 第4代キャムローズ子爵エイドリアン・マイケル・ベリー (1937–2016)
- 第5代キャムローズ子爵ジョナサン・ウィリアム・ベリー(1970-)
爵位の推定相続人は、現当主の息子であるヒューゴ・ウィリアム・ベリー(2000-)閣下。
系図
脚注
註釈
- ^ 初代子爵ウィリアムは3兄弟の次男として生まれて、その兄はバックランド男爵に叙されたほか、末弟はケムズリー子爵に叙されている。
- ^ 彼は襲爵と同時に爵位一代放棄を行使したため、その意思を尊重して、爵位に関する敬称はこれを省く。
- ^ 当該爵位一代放棄は子爵位及び男爵位を対象に行われたもの。一代貴族爵位は爵位放棄できないことから、ハートウェル男爵位はその対象外であった。
出典
- ^ a b 水谷, 三公『イギリス王室とメディア - エドワード大衆王とその時代』(初版)筑摩書房、東京都台東区〈文春学藝ライブラリー〉、1995年、138頁。ISBN 9784168130557。
- ^ a b c d e f g h i “Camrose, Viscount (UK, 1941)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月2日閲覧。
- ^ “No.32346”. The Gazette 4 June 1921. 2020年2月2日閲覧。
- ^ “No.33510”. The Gazette 28 June 1929. 2020年2月2日閲覧。
- ^ “No.35057”. The Gazette 28 January 1941. 2020年2月2日閲覧。
- ^ “No.44507”. The Gazette 19 January 1968. 2020年2月2日閲覧。
- ^ Hart-Davis, Duff (4 April 2001). "Lord Hartwell (obituary)". Independent.co.uk (英語). London: Independent News and Media. 2008年6月16日閲覧。
関連項目
キャムローズ子爵(1941年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 15:05 UTC 版)
「キャムローズ子爵」の記事における「キャムローズ子爵(1941年)」の解説
初代キャムローズ子爵ウィリアム・ユワート・ベリー(英語版) (1879–1954) 第2代キャムローズ子爵ジョン・シーモア・ベリー(英語版) (1909–1995) 第3代キャムローズ子爵ウィリアム・マイケル・ベリー (1911–2001) (1968年ハートウェル男爵叙爵、1995年に爵位一代放棄) 第4代キャムローズ子爵エイドリアン・マイケル・ベリー(英語版) (1937–2016) 第5代キャムローズ子爵ジョナサン・ウィリアム・ベリー(1970-) 法定推定相続人は、現当主の息子であるヒューゴ・ウィリアム・ベリー(2000-)閣下。
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