ガールズケイリンの要項と育成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:27 UTC 版)
「ガールズケイリン」の記事における「ガールズケイリンの要項と育成」の解説
JKAは当初のスケジュールとして、2010年5月に女子1回生となる日本競輪学校(当時)入学者(定員35名)を募集し、合格者は2011年1月から12月まで同校で養成され、2012年3月にデビューの予定としていたが、競輪場廃止に起因する男子選手の応募要綱変更などがあったため正式の発表がずれこみ、2010年9月30日の記者会見でようやく女子選手の応募要綱等が発表された。 その後の発表で女子選手の募集および養成は、2011年4月に日本競輪学校(当時)へ入学する日程で試験などが実施され、2012年7月のデビューで女子競輪を開始するスケジュールとなり、2011年2月25日に1次・2次にわたった日本競輪学校(当時)入学試験の合格者が発表され、18歳から48歳(当時)の36人が合格した。また復活する女子競輪の愛称は公募されたものの、結局はエキシビションで行われたレースと同称の「GIRL'S KEIRIN(ガールズケイリン)」とすることが発表された。 2011年5月9日にガールズケイリン1期生となる35人(1人は入学辞退)が日本競輪学校(当時)に102期生徒として入学し、2012年3月22日に卒業レースが行われ24日に33名が卒業した(1人は退学処分、1人は停学処分・留年)。そして5月1日をもって正式に日本競輪学校(当時)を卒業した33名が競輪選手(当時の格付けはA級2班)として登録され、7月1日からの平塚競輪場を皮切りとして48年ぶりに女子競輪が開催された。
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