ガズヴィーンの著名人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/15 17:57 UTC 版)
「ガズヴィーン州」の記事における「ガズヴィーンの著名人」の解説
ガズヴィーンに生まれ、あるいは暮らし、あるいは葬られた学者、スーフィーは実に数多い。墓廟はガズヴィーン州内各所に点在している。立派なシャーザーデ・ホセイン廟もあるが、シーア派のイマーム・フサイン自身はガズヴィーンの出身ではない。 アリー・アクバル・デフホダー: 言語学者でイラン最初の近代ペルシア語辞典の編纂者。ガズヴィーン出身 ウバイド・ザーカーニー: 14世紀の著名な詩人。風刺的・反道徳的な詩句で有名。「鼠と猫のマスナヴィー」は政治風刺である。 ウバイス・カーラーニー: イスラーム初期、ダイラム人との戦いの中、当地で殺害されたと考えられている。墓廟は「ソルターン・ヴェイス」。 ハムド・アッラー・モストウフィー: イルハン朝の歴史家、著述家(1281-1344)。「撰史」(ターリーヘ・ゴズィーデ)、地理篇で有名な「心魂の歓喜(ノズハトルゴルーブ)、「ザファル・ナーメ」などがある。廟は青緑色の円錐ドームをもち、銘はスルス体でモストウフィー家の家系と作品が記されており、ガズヴィーンの建築の中でもひときわ目立つ。 アフマド・ガザーリー: 1126年没。有名なスーフィズム思想家。アブー・ハミード・ガザーリーの弟。シャーザーデ・ホセインのそばに葬られている。16世紀末までには有名な巡礼地となっていた。シャー・タフマースプ1世の哲学・神秘主義への忌避によりガザーリーの墓廟は破壊されたため、ガザーリーの継承者らはエマームザーデ・エスマーイール通の現在地への移葬し新たな廟を建立した。モハンマド・ガージャール・ハーンの時代に再び破壊され、現在のものは1910年にモジュドルエスラーム・ガズヴィーニーによって再建されたもの。この墓廟の脇には1625年のソルターン・セイイェド・モハンマド・ワーリー廟がある。 モッラー・ハリール・イブン・ガーズィー・カズウィーニー: 1678年没。サファヴィー朝の著名なイスラーム法学者、クルアーン注釈者。 シャヒード・サーレス: 1846年没。 ライーソル・モジャーヘディーン: 後のミールザー・ハサン・シェイホルエスラーム。ミールザー・マスウード・シェイホルエスラームの子。ガズヴィーンにおける立憲主義者・自由主義者の指導者。イラン立憲革命においてガージャール朝の小専制打倒への努力によりライーソル・モジャーヘディーンの称号を受けた。 アリー・イブン・シャーザーン イブン・マージェ: アッバース朝時代に活躍したハディース学者(824-87)。スンナ派で最も権威あるハディース集の六書のひとつである『スナン』を著す。 ヘイロル・ネサージュ イブラーヒーム・イスタンベフ・ヘラーヴィー ラーズィーオッディーン・ターレガーニー ヌールオッディーン・ギーリー アリー・イブン・ガーズィー・アフマド エマームオッディーン・ラフィーイー スィアーフ・コラーフ ヴァーエズ・ガズヴィーニー アッラーメ・ザラバーディー シェイフ・アラーク・ガズヴィーニー ダーウード・イブン・スライマーン・ガーズィー ピーレ・セフィード ピーレ・アーラムダール モッラー・アブドルワッハーブ・ダーロルシャフィーイー モハンマド・イブン・ヤフヤー:「ガムーソル・ロガート」の注釈者 ゴッラトルエイン: 有名なバーブ教徒女性。
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