カープ球団の経営基盤確立へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 04:44 UTC 版)
「広島市民球場 (初代)」の記事における「カープ球団の経営基盤確立へ」の解説
ナイター球場の出現は文字通りファンを引きつけた。一番安い外野席の入場料は大人で当時、カレーライスや駅弁、ストリップ劇場の入場料と同じ100円だったが、映画と並ぶ健全娯楽として歓迎された。完成後35試合の観客動員数は61万9千人であり、完成前30試合の12万7千人から飛躍的に伸びた。 独立採算のカープ球団には、財政基盤を固める切り札となった。観客が増えたこともさることながら、カープ球団には球場内売店の営業権が認められており、さらに球場内看板による広告収入の7割5分~8割がカープ球団の取り分とされたためである。現代の指定管理者制度に近い形態であり、当時としては画期的なことであった。 こうして積み上げられた収入は選手補強費に充てられ、東京六大学野球の小坂佳隆、社会人野球の4番打者森永勝治、西鉄ライオンズでくすぶっていた大和田明ら、これまで金銭面から接触すらできなかった逸材の獲得へと繋がっていった。
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