カービー・スミスが南軍を割る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/29 00:39 UTC 版)
「レッド川方面作戦」の記事における「カービー・スミスが南軍を割る」の解説
スティール将軍は補給の困難さと南軍との幾つかの戦闘のためにシュリーブポートに辿り着くことは無かったが、バンクスはスティールとの連絡が取れなかった。スティールのキャムデン遠征はスティールがリトルロックに引き上げることで終わった。 川の上流では南軍が支流に水を引き、既に低かったレッド川の水位がさらに低くなった。緩り川上に向かっていたポーター提督がバンクス軍の後退を知ったときに、ポーター戦隊も追随した。途中で短時間の交戦があり、この時に南軍の騎兵隊長トマス・グリーンが艦砲の砲弾で戦死した。 グランド・エコールではバンクスがグラントから軍隊をニューオーリンズに移動させ、このことについてはきつく秘密を保つよう命令を受け取った。川の水位は下がり続け、すべての補給船が下流に戻らなければならなかった。バンクスと気難しいA・J・スミスや海軍、さらにはその他の将軍大半との関係は、敗北と認識されるものに巻き込まれたと考えることで悪化した。 カービー・スミスは、テイラー将軍がその部隊をバンクス隊に対抗するために使うべきと強く抗議したにも拘らず、2個師団を北のアーカンソー州に送ってスティール隊を潰すという決断をした。バンクスはテイラーの5,000名ほどの部隊が南で活動していることを識り、南のアレクサンドリアへの急速な撤退を命じた。4月23日のモネッツフェリーの戦いではバンクス隊のいくらかがケーン川を渡って南軍の側面を衝き、少数の抵抗勢力を逃亡させた。アレクサンドリアまでの行軍の残りでは見るべきものは無かったが、ポーターは動きがとれなくなったUSSイーストポートを爆破したために遅れた後で、ケーン川河口で奇襲攻撃にあった。
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