カーバイドの製造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 15:35 UTC 版)
1901年(明治34年)、宮城紡績電灯株式会社は電気事業を拡大するために、藤山常一を技師長として迎え入れた。藤山はかねてより電気エネルギーの利用に関心があり、着任後間もなく重役の伊藤清次郎に進言して、カーバイドの製造を試みた。当時カーバイドは自転車の灯火用としての需要があったが、日本国内では全く生産できず、全て輸入に頼っていた。藤山は50kVAの変圧器を自作し、会社の倉庫の一角で製造を試みた。そして1902年(明治35年)、カーバイドの製造に成功した。これを受けて、伊藤清次郎は藤山にカーバイドの製造会社を設立することを認め、同年4月に「三居沢カーバイト製造所」を設立した。この事業は1905年(明治38年)12月、伊藤清次郎らに引き継がれ、「山三カーバイト」の名で製造が続けられた。その後、藤山は三居沢の他に全国4箇所の工場を設立し、1907年(明治40年)、野口遵とともに日本カーバイド商会を設立した。
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