カーステアズ南方の支線群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 01:18 UTC 版)
「カレドニアン鉄道」の記事における「カーステアズ南方の支線群」の解説
本線が建設された際には、あまり人口のないサザン・アップランズ(英語版)には支線は設けられなかった。4社の独立した会社が自力で支線を建設し、カレドニアン鉄道も2路線を建設した。 サイミントン・ビガー・アンド・ブロートン鉄道(英語版)は1860年に開通したが、建設中にカレドニアン鉄道に買収された。ピーブルズ(英語版)まで1864年に延長された。 1863年には独立したダンフリーズ・ロックマーベン・アンド・ロッカビー鉄道(英語版)が開通した。この鉄道は、西のダンフリースシャー(英語版)へと通じるカレドニアン鉄道によって支援されており、カレドニアン鉄道が営業を行っていた。カレドニアン鉄道はこの路線を1865年に買収した。ポートパトリック鉄道(英語版)が1861年から1862年にかけてキャッスル・ダグラス(英語版)とポートパトリック(英語版)の間を開通させ、カレドニアン鉄道がこの路線を営業した。カレドニアン鉄道はグラスゴー・アンド・サウス・ウェスタン鉄道のダンフリーズからキャッスル・ダグラスまでの区間の運行権を獲得し、それまでグラスゴー・アンド・サウス・ウェスタン鉄道が自社の領域であると思ってきた南西部に一挙に食い込み、アイルランド北部へのフェリー運航にも参入した。ポートパトリック鉄道は後にウィグタウンシャー鉄道と再編を受けてポートパトリック・アンド・ウィグタウンシャー・ジョイント鉄道となり、カレドニアン鉄道は4分の1の株式を所有した。 ノース・ブリティッシュ鉄道は、カーステアズの東のドルフィントン(英語版)への支線を開通させ、カレドニアン鉄道はノース・ブリティッシュ鉄道の次の手はカレドニアン鉄道の領域への侵入となり、本線の運行権獲得の可能性があると恐れるようになった。これを食い止めるため、カレドニアン鉄道は自社のドルフィントン支線(英語版)をカーステアズから建設し、1867年に開通した。ドルフィントンは人口260人であったが2本の鉄道がつながることになり、輸送量は相応に貧弱で、旅客輸送は1945年に、貨物輸送は1950年に廃止された。 独立したソルウェー・ジャンクション鉄道(英語版)が1869年に開通し、全長1,940ヤード(約1,770メートル)の橋でソルウェー湾を横断してカンバーランドの鉄鉱山をカレドニアン鉄道のカートルブリッジ(英語版)へと結んだ。この会社は自社で路線を営業した。この路線により、ラナークシャーの製鉄所への道のりをかなり短縮し、当初は非常によく利用されたが、10年以内に安い輸入鉄鉱石によって輸送量が減少していった。この路線のスコットランド側の部分はカレドニアン鉄道によって1873年に買収され、1895年には全線が買収された。氷の被害が激しかったことと、後には保守費用が高額になったことから、路線は非常に損失を計上するようになり、1921年に廃止された。
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