カムィ焼と徳之島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:00 UTC 版)
徳之島も奄美大島とは多少異なる歴史がある。 「カムィヤキ古窯跡群」(徳之島)で11世紀後半に生産が始まったカムィ焼(カムィヤキ、類須恵器)は、琉球弧全体に流通の広がりを見せており、北限はトカラ列島南部である。高麗人陶工が生産に関わったと言う説がある。前述のように11世紀頃から日麗貿易が始まっており、中村翼、荒野泰典らは、カムィ焼が当時の日本陶器には類例がなく、高麗無釉陶器に類似することや地下式の穴窯跡が韓国の京畿道や忠清南道で発見されたものと類似することから、高麗の陶工が現地に入り生産に関与した事を確実視している。また中村らは、高麗人が徳之島に入った想定理由として、高麗貿易における、太宰府 - 喜界島 - 南島(徳之島ほか)の交易ルートおよび日麗貿易・日朝貿易の交易ルートの接続を挙げている。 ただし、カムィ焼生産は14世紀前半に終息しており、その理由や、高麗人陶工のその後については解明されていない。
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