カトリックの抵抗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 02:36 UTC 版)
革命はイングランドではほとんど無血で成功したものの、やがてスコットランド貴族のダンディー子爵ジョン・グラハムがジェームズ2世に忠誠を誓って反乱を起こした。さらにジェームズ2世がフランスのルイ14世の支援を受け、フランス軍を率いてアイルランドに上陸すると、カトリックのアイルランド人がこれに同調、ウィリアマイト戦争が始まった。ジェームズ2世とその男系の子孫の復位を求める支持者をジャコバイト(ジェームズ党の意)と呼ぶ。 スコットランドとアイルランドの反乱を鎮圧させるために多くの血が流れたが、1690年7月1日にアイルランドのボイン川の戦いでイングランド軍はジェームズ2世率いるフランス・アイルランド連合軍を破り、反乱は終息した。ジェームズ2世は再びフランスに逃れ、イングランドとスコットランドの王位はウィリアム3世夫妻に帰す。革命は終結したがジェームズ2世は退位を良しとせず、フランスの干渉もあり、反フランスの立場をとるウィリアム3世の政策によりイングランドは1690年に大同盟戦争へなだれ込むことになった。
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