オーストリア・ナショナリズムとクラール
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「アルフレート・クラール」の記事における「オーストリア・ナショナリズムとクラール」の解説
1937年3月から4月にかけて、クラールは"Zur nationlalen Frage in Österreich"と題した記事を連載した。その中で彼は、いかにしてオーストリアがドイツの一部分から脱して、異なる政治路線を歩むことが出来たのか、ということについて以下のように綴っている。 オーストリアの人民がドイツ国民の一部などという考えは、理論上一切事実無根なものである。オーストリアの人民までもを含めた統一的ドイツ民族国家というものは、これまでも存在しなかったし、今日においてもまた存在しない。オーストリア人は、他の「帝国」のドイツ人とは異なる政治的・経済的生活条件の下で生きてきたのであり、それゆえにドイツとは異なる国民的な発展をたどってきたのである。この国民的発展がいかほどのものか、一般的な血統や言語の繋がりがどれほど近いものなのか、その歴史の具体的な調査のみが答えとなりえるだろう。―アルフレート・クラール、プラハへ亡命中の共産主義指導者から1936年に受けた「ドイツから分離した独立的オーストリアの存在に対する理論的思想が存在するのか」という問いに対して。 この論はかつて存在した、ドルフスらによる教権的ファシズムとオーストリア・ナチ党との対立の理解を可能にし、教権的ファシズムと汎ゲルマン主義ナチズムは、それぞれマルクスの社会階級論になぞらえて表現された。 また、アウシュヴィッツに収監されていたオーストリア人・ドイツ人共産主義者による議論を記録した『アウシュヴィッツ・テクスト』も遺されている。
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