オーストラリアでの植物研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/09 04:32 UTC 版)
「ジョセフ・ホイッティカー」の記事における「オーストラリアでの植物研究」の解説
1838年にホイッティカーは、2代目の南オーストラリア植民地総督(英語版)に任命されたばかりのジョージ・ゴーラー中佐の下で新しく「庭師 (gardener)」として船に乗り込んだ。ホイッティカー、その他ダービーシャーから来た 7 名の従事者、ゴーラーとその妻子は、1838年10月12日に アデレードの Pestonjee Bomanjee に到着した。テネリフェ島、リオデジャネイロを経由した4ヶ月の旅だった。ホイッティカーとゴーラーが到着した時は生活環境が劣悪だったため、造園は後回しにされた。 ホイッティカーが1839年から1840年にかけ、南オーストラリアのアデレード近辺で採集した植物は、彼の業績としてよく知られている。彼は仕事の合間に南オーストラリアの多くの場所へ旅行し、そこで多くの種類の植物標本を集め、保存した。具体的な場所としては、ロフティ山系(英語版)、ジャゲッド山、トレンズ川、マレー川、ハインドマーシュ川である。彼はバーカー山(英語版)、エンカウンター湾、フルールー半島(英語版)の山地地帯で本格的な調査を初めて行なった人物である。 ホイッティカーは南オーストラリアに19ヶ月間留まった後、1840年4月11日にアデレード港からキャサリン・スチュアート・フォーブズ号に乗船して帰国の途についた。途中、カンガルー島、モーリシャス、セントヘレナ、アゾレス諸島のコルボ島、計 4 箇所に寄航した。船がそれらの港にいる間、彼はさらに植物の採集と標本作成を続けた。
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