オレステスとオドアケルによるクーデター
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「古代末期のキリスト教」の記事における「オレステスとオドアケルによるクーデター」の解説
473年、グリケリウスはブルグント族の力で西ローマ皇帝に即位したが、東ローマ皇帝レオ1世はネポスを派兵し、ネポスは西皇帝となった。 パンノニア(現ハンガリー)のオレステスはフン族のアッティラの書記として仕え、アッティラの死後は西ローマ帝国に仕え、ネポス西皇帝はオレステスに軍司令官の地位を与えた。しかし、オレステスはネポス西皇帝と帝権争いを開始し、オレステスはゲルマン傭兵を率いて475年にラベンナを占領してネポスは追放され、オレステスは息子のロムルスをローマ皇帝とした。しかし、ゲルマン傭兵がオレステスにイタリア割譲を要求すると、オレステスは拒否したため、ゲルマン傭兵部将のオドアケルは、オレステスを殺し、オレステスの息子のロムルス皇帝も廃位した。ロムルスはダルマティアのスパラトゥムで暗殺された。このオドアケルのクーデターをもって、西ローマ帝国が滅亡した。 オドアケルは、東ローマ皇帝ゼノンからパトリキ爵位を受けて、事実上のイタリア王となり、ダルマチア (現クロアチア) 、ルジ (現オーストリア) を制圧したが、やがてゼノン皇帝と対立した。
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