オルデンブルク伯領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 06:45 UTC 版)
「オルデンブルク (領邦)」の記事における「オルデンブルク伯領」の解説
オルデンブルクの伯として最初に知られる人物は、エリマール1世 (en) (1108年没)である。エリマール1世の子孫は、ザクセン諸公国の家臣として、あるいは対抗者として現れる。1180年、皇帝フリードリヒ1世がザクセン公ハインリヒ3世の公領を没収した際、オルデンブルク伯も帝国諸侯(フュルスト)としての地位を認められた。この時のオルデンブルク伯領 (de:Grafschaft Oldenburg) にはデルメンホルスト伯領も含まれていたが、デルメンホルスト伯領はその後一族の若い分枝のための所領としてしばしば分割された(1262年-1447年、1463年-1547年、1577年-1617年)。 13世紀初頭、オルデンブルク伯領はその北や西に広がる、独立のものもあれば半独立のものもあったフリース人諸国(フリースラント)との一連の戦争を戦い、領土を次第に拡大させた。オルデンブルク伯は、隣接する自由ハンザ都市ブレーメンやミュンスター司教 (en) とも頻繁に戦争を繰り返した。
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