オリンピアレコルト(1953-1957年)
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1953年3月に、第二次世界大戦前の1935年から作られていたオリンピアの後継車として登場し、1957年までに58万台が生産された。フェンダーが車体から独立していない戦後型スタイルをオペルでは初めて採用した。 1953-1954年型:1488cc40馬力。最高速度120km/h。2ドアセダン(リムジーネ)、カブリオレとワゴン(キャラバン)の3種。当時のドイツでの販売価格は6,410マルクから6,710マルク。136,028台生産された。 1955年型:リアウインドウの大型化、フロントグリル刷新など小変更。単にオリンピアと呼ばれる最廉価モデルやデリバリーバン(デリバリーバンは輸入制限の対象外であったため昭和30年代には日本にも輸入された)を追加。当時のドイツでの販売価格は5,850から6,710マルク。131,586台を生産。 1956年型:エンジンが45馬力に強化され、再びフロントグリル変更(格子状)。バンパーのオーバーライダーが廃止された。当時のドイツでの販売価格は5,410マルクから6,560マルクへとやや下げられ、144,587台が作られた。 1957年型:フロントグリル変更(縦線に一本の横バー)、クロームのモールディングを追加。カブリオレは廃止される。当時のドイツでの販売価格は5,510~6,560マルク。169,721台を生産。
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