オリオンズ時代の応援スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 21:50 UTC 版)
「マリーンズファン」の記事における「オリオンズ時代の応援スタイル」の解説
川崎球場時代以前の応援には、大毎オリオンズ時代からの内野応援団長で、東京スタジアムでよく応援をしていた松本真一の意向が強く働いていた。 バッター登場時に小太鼓を使用して観客に三・三・七拍子の拍手をさせ、そのあとに紙吹雪を撒く、相手選手への洒落の利いた野次、プレー中の応援自粛、得点時には球団旗をかたどった応援旗を振って声援を送るなど、松本の作りあげた応援スタイルは多い。 また松本はロッテのアメリカ・ビトリアキャンプ(1971年)に同行して、サンフランシスコ・ジャイアンツとのエキシビションマッチ(日本で言うオープン戦)で、前述のスタイルによる応援をして、地元新聞に記事が載ったことがある。 ロッテの千葉移転以後も同様に内野席で小太鼓を使う応援スタイルを貫いた(少なくても1994年以降、内野席で太鼓を使用する許可を球団から公式に得ていたのは松本のグループのみだった)。以上松本真一著・『私の応援人生』より抜粋。 内野席での太鼓を使用した集団応援は、2007年に外野応援団により限定的にバス・ドラムを使用して復活した。 松本の内野応援団は、外野応援団の巨大化と一般ファンの支持、そして松本自身の体調悪化(のち逝去)もあり消滅。しかしその残党は今でも内野席1階のシーズン席を購入して試合観戦している。 東京オリオンズ時代には「東京音頭」を応援に取り入れていた。東京スタジアム閉鎖後は、ヤクルトスワローズの応援団にこのスタイルが継承された。 「チャンステーマ」も参照
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