オランダ領東インドの終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 16:23 UTC 版)
「オランダ領東インド」の記事における「オランダ領東インドの終焉」の解説
しかし、8月15日に日本が連合国に降伏したために、独立が反故になるかと思われたものの、8月17日にはスカルノとハッタが「民族の名において」インドネシアの独立を宣言した。 オランダはその独立を認めず、東インドを再植民地化しようとしたが、武装勢力(正規軍・非正規軍を問わず。極一部には帰国の足を断たれた旧日本軍の南方方面軍の残存兵力も含まれた)との武力衝突が頻発した。なお、前述の郷土防衛義勇軍は、武装勢力の中心を担うこととなった(その上に、独立後は初期のインドネシア国軍の一部を構成することとなった)。かつて「オランダ領東インド」と呼ばれた領域は「インドネシア」として生まれ変わった姿で、オランダの再来を拒んだのである。 本土が荒廃し国力が低下したオランダは、もはや独立戦争を戦い抜く事が出来ず、戦争は4年の歳月を経てイギリスやアメリカの仲介もあり和平合意に至り、ここにインドネシア連邦共和国の成立が承認された。 詳細は「インドネシア独立戦争」を参照
※この「オランダ領東インドの終焉」の解説は、「オランダ領東インド」の解説の一部です。
「オランダ領東インドの終焉」を含む「オランダ領東インド」の記事については、「オランダ領東インド」の概要を参照ください。
- オランダ領東インドの終焉のページへのリンク