オシフィエンチム公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/07/27 06:01 UTC 版)
「オシフィエンチム公国」の記事における「オシフィエンチム公」の解説
シロンスク・ピャスト家 1315年-1324年 ヴワディスワフ1世 1324年-1372年 ヤン1世スホラスティク 1372年-1376年 ヤン2世 1376年-1405年 ヤン3世 1405年-1406年 プシェミスワフ 1406年-1434年 カジミェシュ1世 1434年-1445年 ヴァツワフ1世、トシェクのプシェミスワフ、ヤン4世による共同統治 1445年-1456年 ヤン4世 1456年にポーランド王に売却され、1564年にはクラクフ県に編入され、公国自体は消滅する。 ハプスブルク=ロートリンゲン家 1772年のハプスブルク君主国による併合に伴い、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(1804年以後はオーストリア皇帝)が1918年までアウシュヴィッツ公を称した。 1772年-1790年 ヨーゼフ2世 1790年-1792年 レオポルト2世 1792年-1835年 フランツ2世 1835年-1848年 フェルディナント1世 1848年-1916年 フランツ・ヨーゼフ1世 1916年-1918年 カール1世
※この「オシフィエンチム公」の解説は、「オシフィエンチム公国」の解説の一部です。
「オシフィエンチム公」を含む「オシフィエンチム公国」の記事については、「オシフィエンチム公国」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からオシフィエンチム公を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- オシフィエンチム公のページへのリンク