エーリッヒ・リベックとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エーリッヒ・リベックの意味・解説 

エーリッヒ・リベック

(エーリヒ・リベック から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 09:06 UTC 版)

エーリッヒ・リベック
西ドイツ代表コーチ時代(1980年)
名前
愛称 Sir Erich(エリック卿)
カタカナ エーリッヒ・リベック
ラテン文字 Erich Ribbeck
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1937-06-13) 1937年6月13日(87歳)
出身地 ヴッパータール
選手情報
ポジション DF
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エーリッヒ・リベックErich Ribbeck1937年6月13日 - )は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ヴッパータール出身のサッカー指導者。

略歴

選手時代はDFとして、オーバーリーガに所属するヴッパーターラーSVボルシアSCBヴィクトリア・ケルンでプレーをした。

現役引退後は指導者の道へ進み、1965年ボルシア・メンヒェングラートバッハのアシスタントコーチに就任し、ヘネス・バイスバイラーに師事した。1973年からは1.FCカイザースラウテルンの監督を務め、1976年DFBポカールで準優勝に導いた。

1978年からは西ドイツ代表のアシスタントコーチに就任し、代表監督のユップ・デアヴァルを補佐した。1984年UEFA欧州選手権グループリーグ敗退の責任を問われてデアヴァルが解任されると、リベックは次期監督候補と目されたが、代表監督にはリベックではなくフランツ・ベッケンバウアーが就任した。

その後リベックはFCバイエルン・ミュンヘンを始めとしたドイツ国内の有力クラブの監督を歴任した。1988年にはバイエル・レバークーゼンを率いてUEFAカップに優勝している。

1998年9月9日ベルティ・フォクツの後任としてドイツ代表監督に就任した。2000年UEFA欧州選手権では、予選第3組を1位で通過したものの、本大会では初戦にルーマニアと1-1で引き分け、2戦目に0-1でイングランド相手に15年ぶりの敗戦を喫し、最終戦は控え選手主体のポルトガルに0-3と完敗し、0勝1分2敗の勝ち点1、グループリーグA組の最下位で早々と敗退した。1938年以降の主要国際大会においてドイツサッカー史上に残る不成績に終わったことで国民の非難を浴び、監督を辞任した。ドイツ代表監督としての通算成績は10勝6分け8敗。

所属クラブ

指導歴

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エーリッヒ・リベック」の関連用語

エーリッヒ・リベックのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エーリッヒ・リベックのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエーリッヒ・リベック (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS