アンジェイ・ブンツォルとは? わかりやすく解説

アンジェイ・ブンツォル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/30 10:45 UTC 版)

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アンジェイ・ブンツォル
名前
本名 アンジェイ・ベルナルド・ブンツォル
Andrzej Bernard Buncol
愛称 Krupniok
ラテン文字 Andrzej Buncol
基本情報
国籍 ポーランド
生年月日 (1959-09-21) 1959年9月21日(59歳)
出身地 グリヴィツェ
身長 174cm
体重 71kg
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1977-1979 ピアスト・グリヴィツェ
1979-1982 ルフ・ホジューフ 62 (14)
1982-1986 レギア・ワルシャワ 126 (32)
1986-1987 ホンブルク 30 (5)
1987-1992 レバークーゼン 123 (14)
1992-1997 デュッセルドルフ 119 (16)
代表歴
1980-1986 ポーランド 51 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンジェイ・ブンツォル(Andrzej Buncol、本名:アンジェイ・ベルナルド・ブンツォル、Andrzej Bernard Buncol、1959年9月21日 - )は、ポーランドの元サッカー選手。ポジションはMF

経歴

ブンツォルは地元グリヴィツェのクラブでサッカーを始めると1979年にルフ・ホジューフで1部リーグデビューを飾る。その年にエクストラクラサ(ポーランド1部リーグ)優勝に貢献した。1981年に強豪のレギア・ワルシャワへ移籍したが、1985年と1986年の国内リーグで連続2位に入ったのが最高成績でタイトル獲得は成らなかった。1986年からは海外移籍を果たし、ドイツのFCホンブルクを経て翌1987年にバイエル・レバークーゼンへ移籍。レバークーゼンでは移籍初年度からエーリッヒ・リベック監督の下で出場機会を掴み、1987-88シーズンのUEFAカップ初優勝に貢献し、彼のサッカー人生において最も大きな成功を収めた。1992年からはフォルトゥナ・デュッセルドルフへ移籍し、1997年に現役引退をした。

ポーランド代表としては1980年2月17日に敵地のマラケシュで行われたモロッコ戦で代表デビューを飾った。これ以降、代表監督のアントニ・ピエチニチェクの下で代表へ定着し、1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会では1次リーグのペルー戦で1得点を決めるなど全6試合に出場し同国の3位入賞に貢献した。1986年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会にも出場するなど国際Aマッチ51試合出場6得点を記録した。

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