ヴォジミエシュ・スモラレクとは? わかりやすく解説

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ヴォジミエシュ・スモラレク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/25 16:31 UTC 版)

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ヴォジミエシュ・スモラレク
名前
ラテン文字 Włodzimierz Smolarek
基本情報
国籍 ポーランド
生年月日 (1957-07-16) 1957年7月16日
出身地 アレクサンドロフ・ウッチキ
没年月日 (2012-03-06) 2012年3月6日(54歳没)
身長 171cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1973-1977 ヴィジェフ・ウッチ
1977-1979 レギア・ワルシャワ 18 (4)
1979-1986 ヴィジェフ・ウッチ 181 (55)
1986-1988 フランクフルト 63 (13)
1988-1990 フェイエノールト 46 (13)
1990-1996 FCユトレヒト 165 (33)
代表歴
1980-1992 ポーランド 60 (13)
監督歴
2000-2007 フェイエノールト ユースコーチ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴォジミエシュ・ヴォイチェフ・スモラレクポーランド語: Włodzimierz Wojciech Smolarek, 1957年7月16日 - 2012年3月6日[1])は、ポーランドの元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはFW

息子のエウゼビウシュ・スモラレクもサッカー選手で、ポーランド代表として活躍している。

経歴

スモラレクは1974年にヴィジェフ・ウッチで選手キャリアをスタートすると、1980年にレギア・ワルシャワへ移籍。ヴィジェフではズビグニェフ・ボニエクらと共に2度のポーランドリーグ優勝(1981年、1982年)に貢献。ボニエクがイタリアセリエAユヴェントスへ移籍した後は、中心選手となり1985年のポーランドカップ優勝に貢献した。

1986年にドイツブンデスリーガアイントラハト・フランクフルトへ移籍。フランクフルトでは1987-88シーズンのDFBポカール制覇に貢献するなどの活躍で人気選手の一人となった。1988年からはオランダのフェイエノールトFCユトレヒトでプレーを続け、1996年に39歳で現役を引退した。

ポーランド代表としては、1982年に代表デビューを飾り、1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会3位入賞、1986年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会ベスト16進出に貢献。メキシコ大会決勝トーナメント1回戦のブラジル戦を最後に代表から退くまで、国際Aマッチ63試合出場13得点を記録した。

引退後は指導者の道へ進み、2000年から古巣のフェイエノールトのユースコーチを務めていた。

2012年3月6日、死去[2]。54歳没。

個人タイトル

  • ポーランド年間最優秀選手賞 2回(1984年、1986年)

脚注

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  1. ^ Elhunyt a 82-ben vb-bronzérmes lengyel focista origo 2012年3月8日閲覧
  2. ^ Włodzimierz Smolarek nie żyje Sport.pl 2012年3月7日閲覧

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