エーリヒ・フラウワルナー
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エーリヒ・フラウワルナー[1][2](Erich Frauwallner、1898年12月28日 - 1974年7月5日[1])は、オーストリアのインド学者・仏教学者。ウィーン大学名誉教授[3]。インド哲学・仏教哲学研究の開拓者の一人[4][3][5]。
生涯
1898年、ウィーンのヴェーリングにて学者の家庭に生まれる[1]。ギムナジウム生徒の頃からサンスクリットの独学を始める[1]。第一次大戦で兵役に就いた後、ウィーン大学に入学[1]。西洋古典学・インド学・イラン学を修め[6]、1921年、ラテン語論文で哲学博士の学位を得る[1]。ウィーン19区のギムナジウムでラテン語・ギリシア語の教員を務めつつ、大学教授資格取得の準備をし、1928年、『マハーバーラタ』とウパニシャッドの研究により、ウィーン大学無給講師の資格を得る[7]。1939年、ウィーン大学員外教授に就任する[8]。
ナチスに意識的に加担し[9]、第二次大戦後、ウィーン大学から解雇される[8](非ナチ化)。以降、在野研究者として貧困に耐えつつ、息子に先立たれるなど苦難の時期を過ごす[8]。
1955年、ウィーン大学助教授として復職[10]。ウィーン大学インド学研究所の創設に携わる[10]。1964年、健康上の都合により退職[11][12]。以降も研究を続け、1974年に逝去した[11]。
学問・業績
主著に以下がある[1]。
- Geschichte der indischen Philosophie(『インド哲学史』、1953-1956年、全2巻、未完)
- Die Philosophie des Buddhismus(『仏教哲学』、1956年、全1巻、未完)
業績は仏教論理学[13][14]・唯識[13][1]・アビダルマ[13][15]・ジャイナ哲学[8]・サーンキヤ[6]・ニヤーヤ[4]・ヴェーダーンタ[8]・シヴァ派[15]・年代確定[15]など多方面に及ぶ[16]。「世親二人説」の提唱者でもある[2][17][5]。
生涯を通じてサンスクリット・ラテン語・ギリシア語・中高ドイツ語・チベット語・中国語・日本語など多言語を学んだ[7]。
手法は文献学的・実証的とされる[4][1][9]。ただし、ナチスやアーリア優位主義の影響を受けているという批判もある[9]。
先人のシチェルバツキーや宇井伯寿が開拓した仏教哲学研究に、全体の展望を与え、後進に道を示した[5]。また、ビューラーらが創始した後衰退していた、ウィーン大学のインド学の伝統を再興した[18][19][6]。
教えを受けた人物に、シュミットハウゼン[8][6][16]、シュタインケルナー[11][6][16]、ミッテルベルガー[11]、オーバーハンマー[11][6][16]、フェッター[11][6][16]、ベッヘルト[6]、梶山雄一[6][11]、服部正明[6]、雲井昭善[11][20]らがいる。
著作の日本語訳が数篇ある。
栄誉
脚注
- ^ a b c d e f g h i 梶山 1979, p. 52.
- ^ a b 船山徹『婆藪槃豆伝 : インド仏教思想家ヴァスバンドゥの伝記』法藏館、2021年。ISBN 9784831877468。179;215頁。
- ^ a b c 雲井 1975, p. 65.
- ^ a b c 片岡啓「Nyāyamañjarī 写本研究の回顧」『南アジア古典学』第18号、九州大学文学部インド哲学史研究室、2023年 。CRID 1520297294016211840。147頁。
- ^ a b c 梶山 1979, p. 51.
- ^ a b c d e f g h i j 原 1989, p. 4.
- ^ a b 梶山 1979, p. 52-54.
- ^ a b c d e f 梶山 1979, p. 57.
- ^ a b c 護山真也 (2012年12月24日). “エリ・フランコ先生をお迎えして | ブログ | 護山 真也 | 教員紹介 | 信州大学 人文学部”. www.shinshu-u.ac.jp. 2024年9月25日閲覧。
- ^ a b c 梶山 1979, p. 62.
- ^ a b c d e f g h i j 梶山 1979, p. 66.
- ^ 原 1989, p. 5.
- ^ a b c 野武美弥子;坂井淳一;瀧川郁久「十二縁起説の成立過程 -E.フラウワルナー『インド哲学史』抄訳-」『論叢アジアの文化と思想』第4号、アジアの文化と思想の会、1995年。 NAID 120005678640 。337頁。
- ^ 梶山 1979, p. 55.
- ^ a b c 梶山 1979, p. 64.
- ^ a b c d e 雲井 1975, p. 66.
- ^ 石田一裕. “世親”. WEB版新纂浄土宗大辞典. 2024年9月25日閲覧。
- ^ 梶山 1979, p. 54.
- ^ 雲井 1964, p. 75.
- ^ 雲井 1964, p. 71.
参考文献
- 雲井昭善「ウィーンのインド学(講演要旨)」『大谷学報』第43巻、第3号、大谷学会、1964年。 NAID 120005837520 。
- 雲井昭善「<海外学界ニュース> E・フラウワルナー博士の逝去を悼む」『佛教学セミナー』第21号、大谷大学佛教学会、1975年。 NAID 40002651060 。
- 梶山雄一「『仏教哲学』について――E.フラウワルナーの生涯と業績――」『東洋学術研究』第18巻、第4号、東洋哲学研究所、1979年。
NAID 40002651060。
- 再録: 『梶山雄一著作集 第1巻 仏教思想史論』春秋社、2013年。ISBN 978-4-393-11261-8
- 原實「ウィーンのインド学」『東洋学報』71 (1・2)、東洋文庫、1989年。 NAID 120006516479 。
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