エーリヒ・フラウワルナーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エーリヒ・フラウワルナーの意味・解説 

エーリヒ・フラウワルナー

(エーリッヒ・フラウヴァルナー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/26 14:04 UTC 版)

エーリヒ・フラウワルナー[1][2]Erich Frauwallner1898年12月28日 - 1974年7月5日[1])は、オーストリアインド学者仏教学者ウィーン大学名誉教授[3]インド哲学仏教哲学研究の開拓者の一人[4][3][5]

生涯

1898年ウィーンヴェーリングドイツ語版にて学者の家庭に生まれる[1]ギムナジウム生徒の頃からサンスクリットの独学を始める[1]第一次大戦で兵役に就いた後、ウィーン大学に入学[1]西洋古典学・インド学・イラン学を修め[6]1921年ラテン語論文で哲学博士の学位を得る[1]。ウィーン19区のギムナジウムでラテン語・ギリシア語の教員を務めつつ、大学教授資格取得の準備をし、1928年、『マハーバーラタ』とウパニシャッドの研究により、ウィーン大学無給講師の資格を得る[7]1939年、ウィーン大学員外教授に就任する[8]

ナチスに意識的に加担し[9]第二次大戦後、ウィーン大学から解雇される[8]非ナチ化)。以降、在野研究者として貧困に耐えつつ、息子に先立たれるなど苦難の時期を過ごす[8]

1955年、ウィーン大学助教授として復職[10]。ウィーン大学インド学研究所の創設に携わる[10]1964年、健康上の都合により退職[11][12]。以降も研究を続け、1974年に逝去した[11]

学問・業績

主著に以下がある[1]

  • Geschichte der indischen Philosophie(『インド哲学史』、1953-1956年、全2巻、未完)
  • Die Philosophie des Buddhismus(『仏教哲学』、1956年、全1巻、未完)

業績は仏教論理学[13][14]唯識[13][1]アビダルマ[13][15]ジャイナ哲学[8]サーンキヤ[6]ニヤーヤ[4]ヴェーダーンタ[8]シヴァ派[15]年代確定[15]など多方面に及ぶ[16]。「世親二人説」の提唱者でもある[2][17][5]

生涯を通じてサンスクリット・ラテン語・ギリシア語・中高ドイツ語チベット語中国語日本語など多言語を学んだ[7]

手法は文献学的・実証的とされる[4][1][9]。ただし、ナチスアーリア優位主義の影響を受けているという批判もある[9]

先人のシチェルバツキー宇井伯寿が開拓した仏教哲学研究に、全体の展望を与え、後進に道を示した[5]。また、ビューラーらが創始した後衰退していた、ウィーン大学のインド学の伝統を再興した[18][19][6]

教えを受けた人物に、シュミットハウゼン[8][6][16]シュタインケルナードイツ語版[11][6][16]ミッテルベルガードイツ語版[11]オーバーハンマードイツ語版[11][6][16]フェッターオランダ語版[11][6][16]ベッヘルト[6]梶山雄一[6][11]服部正明[6]雲井昭善[11][20]らがいる。

著作の日本語訳が数篇ある。

栄誉

  • ウィーン大学名誉教授[3]
  • オーストリア学士院会員(1955年)[10]
  • ドイツ東洋学会名誉会員(1972年)[11]
  • ゲッティンゲン学士院遠隔地会員(1973年)[11]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 梶山 1979, p. 52.
  2. ^ a b 船山徹『婆藪槃豆伝 : インド仏教思想家ヴァスバンドゥの伝記』法藏館、2021年。ISBN 9784831877468。179;215頁。
  3. ^ a b c 雲井 1975, p. 65.
  4. ^ a b c 片岡啓「Nyāyamañjarī 写本研究の回顧」『南アジア古典学』第18号、九州大学文学部インド哲学史研究室、2023年https://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kkataoka/Kataoka/Kataoka_Kei_2023d.pdf CRID 1520297294016211840。147頁。
  5. ^ a b c 梶山 1979, p. 51.
  6. ^ a b c d e f g h i j 原 1989, p. 4.
  7. ^ a b 梶山 1979, p. 52-54.
  8. ^ a b c d e f 梶山 1979, p. 57.
  9. ^ a b c 護山真也 (2012年12月24日). “エリ・フランコ先生をお迎えして | ブログ | 護山 真也 | 教員紹介 | 信州大学 人文学部”. www.shinshu-u.ac.jp. 2024年9月25日閲覧。
  10. ^ a b c 梶山 1979, p. 62.
  11. ^ a b c d e f g h i j 梶山 1979, p. 66.
  12. ^ 原 1989, p. 5.
  13. ^ a b c 野武美弥子;坂井淳一;瀧川郁久「十二縁起説の成立過程 -E.フラウワルナー『インド哲学史』抄訳-」『論叢アジアの文化と思想』第4号、アジアの文化と思想の会、1995年。 NAID 120005678640https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/5782 337頁。
  14. ^ 梶山 1979, p. 55.
  15. ^ a b c 梶山 1979, p. 64.
  16. ^ a b c d e 雲井 1975, p. 66.
  17. ^ 石田一裕. “世親”. WEB版新纂浄土宗大辞典. 2024年9月25日閲覧。
  18. ^ 梶山 1979, p. 54.
  19. ^ 雲井 1964, p. 75.
  20. ^ 雲井 1964, p. 71.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  エーリヒ・フラウワルナーのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

エーリヒ・フラウワルナーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エーリヒ・フラウワルナーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエーリヒ・フラウワルナー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS