エッジ・オブ・サニティとは? わかりやすく解説

エッジ・オブ・サニティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/09 01:06 UTC 版)

エッジ・オブ・サニティ
Edge of Sanity
出身地
ジャンル
活動期間
レーベル
メンバー ダン・スワノボーカルギターベースキーボードドラム
旧メンバー
  • ローベルト・カールソン(ボーカル)
  • サミ・ネルベリ(ギター)
  • アンドレアス・ドレッド・アクセルソン(ギター)
  • アンデシュ・リンドベリ(ベース)
  • ベニー・ラーション (ドラム)

エッジ・オブ・サニティ (Edge of Sanity)は、スウェーデン出身のデスメタルバンドメロディックデスメタル(メロデス)の誕生・発展に多大な貢献を果たした。オーペスミカエル・オーカーフェルトと互いに影響を与え合い、共に70年代のプログレッシブ・ロックデスメタルを組み合わせたスタイルを作り上げた[1]

略歴

1989年11月にレコーディングスタジオを所有するダン・スワノ(ボーカル)と、そのスタジオの利用者を中心に結成。当初は単なるセッションバンドで、本格的な活動を視野に入れていなかった[2]

1990年ブラック・マーク・プロダクションと契約。1991年に1stアルバム『ナッシング・バット・デス・リメインズ』をリリースしデビュー。その後も、デモをリリースしつつ、2ndアルバム『アンオーソドックス』、3rdアルバム『スペクトラル・ソロウズ』をリリースする。1994年にリリースされた4thアルバム『パーガトゥリィ・アフターグロウ』で、ビクターエンタテインメントから日本盤がリリースされ、日本デビューを果たす。1stから3rdアルバムまでのアルバムも日本盤がリリースされた。

1996年に40分以上に及ぶ超大作「Crimson」1曲のみで構成された5thアルバム『クリムゾン』をリリース。1997年リリースの6thアルバム『インフェルナル』は、何れの曲もコンパクトかつストレートにまとめられ、キーボードやアコースティック・ギター等の凝った装飾を排したアレンジも、至ってシンプルな作風に変わっていった。『インフェルナル』は、各楽曲ごとに奏者がクレジットされており、各楽曲ごとに関わっている人が異なっている[3][4]。しかし、同年中に音楽的意見の相違によってダン・スワノは脱退。代わりに、ローベルト・カールソンがボーカリストとして参加。同年に、7thアルバム『クリプティック』をリリース。1999年前後に解散。

2003年にダン・スワノ一人によって再結成。同年8thアルバム『Crimson II』リリース。同作では基本的に全てのパートをダン・スワノ一人が担っている。また、ボーカリスト2人とギタリスト2人がゲストで参加している。5thアルバム『クリムゾン』に通じる作品で、前述の「Crimson」を超える43分の超大作「Crimson II」1曲で構成されている。但し本作では、その1曲を9つのパートにわけ、それを更に1トラック2分未満に分割して収録しており、44トラック・43分というアルバムになっている。本作は唯一日本盤がリリースされなかったアルバム。同年中に、再び解散した。

影響

中心人物のダン・スワノはいくつかのインタビューで自身のルーツを語っている。幼少期にはキッスジューダス・プリーストダストラモーンズユーライア・ヒープモキシーなどを愛聴していた[5]。エクストリームメタルの中では、デスペスティレンスヴォイヴォドセルティック・フロストキャンドルマスからの影響を語っている[5]。あるインタビューではお気に入りのプログレッシブ・ロック・アルバムとして、ジェネシスの『月影の騎士』、カンサスの『永遠の序曲』、マリリオンの『美しき季節の終焉』、スポックス・ビアードの『カインドネス・オブ・ストレンジャーズ』、UKの『デンジャー・マネー』を挙げている[1]。人生を変えたメタルのアルバムは、デスの『レプロシー』、マーシフル・フェイトの『ドント・ブレイク・ジ・オース~禁断の誓い』と『メリッサ』、ジューダス・プリーストの『運命の翼』と『背信の門』、W.A.S.P.の『魔人伝』だという[6]

メンバー

最終メンバー

旧メンバー

  • ローベルト・カールソン(Roberth Karlsson) - ボーカル (1997年-1999年)
  • サミ・ネルベリ (Sami Nerberg) - ギター (1989年-1999年)
    • 6thアルバム『インフェルナル』には不参加。
  • アンドレアス・ドレッド・アクセルソン(Andreas "Dread" Axelsson) - ギター (1989年-1999年)
    • 3rdアルバム『スペクトラル・ソロウズ』では、ベースも兼任した。
    • 3rdアルバムより、ドレッド(Dread)名義でクレジットされるようになった。
    • マーダックインキャパシティではボーカリストとして活動していた。
  • アンデシュ・リンドベリ(Anders Lindberg) - ベース (1989年-1999年)
    • 3rdアルバム『スペクトラル・ソロウズ』には、兵役の関係で参加できなかった。
  • ベニー・ラーション(Benny Larsson) - ドラム (1989年-1999年)

セッション・メンバー

ディスコグラフィ

アルバム

EP

コンピレーション・アルバム

デモ

  • Euthanasia (1989年)
  • Kur-Nu-Gi-A (1990年)
  • The Dead (1990年)
  • The Immortal Rehearsals (1990年)
  • Dead But Dreaming (1992年)
  • Darkday (1993年)
  • Lost (1993年)
  • The Spectral Sorrows Demos (1993年)
  • Infernal Demos (1996年)

脚注

出典

  1. ^ a b Dan Swano”. 2014年10月8日閲覧。
  2. ^ 奥村裕司 (1994年). "ナッシング・バット・デス・リメインズ" [CDライナー]. エッジ・オブ・サニティ 『Nothing But Death Remains』のアルバム・ノーツ 日本東京都渋谷区: ビクター・エンタテインメント (VICP-23108).
  3. ^ ギタリストのサミ・ネルベリは参加していないが、作曲には携わった。
  4. ^ また、一部の楽曲では、ダン・スワノの参加していない楽曲も存在する。
  5. ^ a b Dan Swano Interview – Witherscape The Inheritance album” (2013年7月16日). 2014年10月8日閲覧。
  6. ^ Interviews Dan Swanö” (2006年2月14日). 2014年10月8日閲覧。

外部リンク


エッジ・オブ・サニティ

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マノウォー」の記事における「エッジ・オブ・サニティ」の解説

アルバム『スペクトラル・ソロウズ(英語版)』でBlood of My Enemiesカヴァー

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