ウィーンへ、死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:46 UTC 版)
「交響曲第10番 (マーラー)」の記事における「ウィーンへ、死」の解説
2月21日、ニューヨーク・フィルと48回目にして最後の演奏会。プログラムはフェリックス・メンデルスゾーンの交響曲第4番、フェルッチョ・ブゾーニの『悲歌的子守歌』など。この直後に敗血症のため重体となる。 4月8日、ヨーロッパへ向かう。同じ船にはシュテファン・ツヴァイクやブゾーニが乗船していた。パリで治療を受けて5月12日にウィーンへ移るが、すでに瀕死の状態であった。 5月18日、マーラー死去。51歳。最後の言葉は「モーツァルト!」だったという。(妻アルマの回想によると「モーツァルトル!」という愛称を表すマーラーの生まれた地方の方言だったという。) 5月22日、グリンツィング墓地に葬られる。
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