ウィリアム・コディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 20:48 UTC 版)
「ポニー・エクスプレス」の記事における「ウィリアム・コディ」の解説
ポニー・エクスプレスの騎手の中でもウィリアム・コディ、通称バッファロー・ビルはその伝説と民間伝承に典型的なものとなっている。ポニー・エクスプレスの騎手としての若き日のコディの冒険については多くの話が伝えられている。当時15歳のコディはカリフォルニア州に向かっているときにポニー・エクスプレスの代理人と出遭い、その会社と契約した。コディは道中の駅の建設に貢献した。それゆえに騎手として雇われ、ジュールズバーグの町から短い45マイル (72 km) の配達を任された。その数ヵ月後ワイオミングのスレイドの地区に転籍され、レッドビュート駅からロッキーリッジ駅までの最長無停止区間の騎乗を行い、その引継ぎのための騎手が殺されていたのを発見したときに元の駅に戻った。全行程の中でも最も危険な区間の一つだったその区間は322マイル (515 km) もあり、21時間40分で騎り通した。この騎乗を行うために21頭の馬を乗り継いだ。コディは西部開拓史初期のあらゆる重要な場面、例えばゴールドラッシュ、鉄道の建設、グレートプレーンズの牛追いなどで登場しており、開発のほとんど全ての段階で重要な役割を担った。南北戦争の間の斥候としての経歴によってバッファロー・ビルという渾名を獲得し、典型的なフロンティアの男として勇名を轟かせた。
※この「ウィリアム・コディ」の解説は、「ポニー・エクスプレス」の解説の一部です。
「ウィリアム・コディ」を含む「ポニー・エクスプレス」の記事については、「ポニー・エクスプレス」の概要を参照ください。
- ウィリアム・コディのページへのリンク