ウィリアム・ケズウィック (1834–1912)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 15:43 UTC 版)
「ケズウィック家」の記事における「ウィリアム・ケズウィック (1834–1912)」の解説
ウィリアム・ケズウィック(英語版)はケズウィック家の創始者。スコットランドローランド地方生まれ。ジャーディン・マセソン商会を創設したウィリアム・ジャーディンの姉の娘の子。1855年に香港に到着し、ジャーディン商会上海支店(中国本店)で働く。 1859年(安政6年)、日米修好通商条約締結後に開港した横浜にジャーディン・マセソン商会横浜支店(英一番館)を設立。1863年(文久3年)、井上聞多、遠藤謹助、山尾庸三、野村弥吉、伊藤博文の長州五傑(長州ファイブ)のイギリス留学を支援した。 1886年に本国に帰国。ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンの親戚がロンドンに設立したマセソン商会の専務になる。 1868年から1887年まで、香港政庁の非官守(官職)議員になり、香港の政策に大きな影響力を及ぼした。 1888年には科学者のハーバート・W・C・トゥウェッドルと共にペルーのアシエンダ・ラ・ブレア・イ・パリニャス油田を買い取り、ロンドン・アンド・パシフィック・ペトロリューム・カンパニーを設立した。
※この「ウィリアム・ケズウィック (1834–1912)」の解説は、「ケズウィック家」の解説の一部です。
「ウィリアム・ケズウィック (1834–1912)」を含む「ケズウィック家」の記事については、「ケズウィック家」の概要を参照ください。
- ウィリアム・ケズウィックのページへのリンク