ウィラポンとの4度の対戦
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「西岡利晃」の記事における「ウィラポンとの4度の対戦」の解説
初対決は2000年6月25日、西岡の地元・兵庫の高砂市総合体育館で行われた。ダウンこそなかったものの、消極的なボクシングを展開し、0-3(113-115、112-116が2者)の判定負け。 2度目の対戦は2001年9月1日、横浜アリーナで。序盤、右ジャブからの左ボディブローでウィラポンを苦しめた。しかし、7回に強烈な右ストレートを浴び、左目の上をカット。しかしこのラウンドで西岡は強烈な左カウンターを決め、ウィラポンをダウン寸前にまで追い込む粘りを見せ、持ち堪えた。だが徐々にウィラポンが試合のペースを握っていき、さらに西岡はバッティングにより両目の上をカットしたことと(西岡自身、カットされるのは初であり、目に血が入って視界がぼやけた)、ウィラポンの執拗なボディブロー攻めに遭ったことで動きが鈍くなっていった。それでも最後まで堪え、試合は前回同様判定に。判定の結果、一人は115-113で西岡、別の一人は116-113でウィラポン、そして残る一人は114-114。三者三様の引き分けに終わった。 3度目の対決は2003年10月4日、両国国技館で。当初、前年の3月に対戦予定であったが、西岡が練習中に左足アキレス腱を断裂したため、1年半以上遅れて挑戦する形となった。それでも、WBCランキング1位を維持し、指名挑戦者として対戦を迎えたが、前々回、前回同様、判定にもつれ込み1-1(114-113、115-115、112-116)の引き分けとなった。 4度目の対決は2004年3月6日、さいたまスーパーアリーナで。3回、ウィラポンのヒッティングによる出血で動きが落ちたまま、試合はウィラポンのペースで展開。最終12回にはスタミナも切れ、0-3(110-116、109-117、109-118)の大差判定負けを喫した。
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