イングランド王への系譜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 18:19 UTC 版)
「オウエン・テューダー」の記事における「イングランド王への系譜」の解説
「薔薇戦争」も参照 ヘンリー6世が崩御し、その王太子エドワードも1471年にヨーク派に敗れて敗死すると、オウエンの孫であるヘンリーは、ランカスター家の最後の男子となった。ヘンリーはウェールズのペンブローク城で育ったが、13歳の時に再会した伯父のジャスパーが、ヘンリーをブルターニュ公国へ逃れさせ、捲土重来を期した。 反リチャード3世の受け皿として勢力を拡大し、最終的に1485年8月22日のボズワースの戦いで勝利して、テューダー朝を開闢した。こうしてオウエンとキャサリン王妃の結婚から、ウェールズの血を引くイングランド王「ヘンリー7世」が誕生することとなった。ウェールズの人々は、ヘンリーにアーサー王を重ねて歓喜した。 キャサリンの墓には「ヘンリー5世の未亡人」であることしか書かれていなかったが、孫のヘンリー7世により、自身の出自を明確にする意図から「オウエン・テューダーと結婚」した旨が追記された。これ以降、キャサリンとオウエンの結婚は公認のものとなった。
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