イダ・ルビンシュタイン
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イダ・リヴォヴナ・ルビンシュタイン(ルビンシュテイン、またはルビンシテイン。露: И́да Льво́вна Рубинште́йн, 仏: Ida Lvovna Rubinstein 、1885年10月5日-1960年9月20日)はロシア出身のフランスのバレリーナ、役者。あまりに晩学だったためバレリーナとしては一流と見なされておらず[1]、強いロシア語なまりのために役者としても中途半端であったが、舞台上での存在感や演技力は際立っており、エキゾチックで両性具有的な容姿に多くの人々が魅了された。ベルエポックの美意識を象徴する美女として、また、当時の芸術家たちのパトロンとして知られており、ラヴェル作曲の『ボレロ』など、いくつかの作品が彼女の委嘱によって生み出された。
- ^ マリ=フランソワーズ・クリストゥ、佐藤俊子訳『バレエの歴史』白水社、1970年、109頁
- ^ 聖職者の首を切るという内容であったことからロシア正教会が上演に反対したが、結果的には台詞なしという条件で上演が許可された(鈴木晶『踊る世紀』新書館、1994年、273頁)。
- ^ 一枚ずつ衣裳を脱いだのは事実であるが、全裸になったというのは誤りという説もある(鈴木晶、前掲書、273頁)。
- ^ バレエ・リュスの首脳陣の中にはバレエに関して素人同前のイダを舞台にあげることに対する反対意見もあったが、主宰者セルゲイ・ディアギレフは参加を決断した(藤野幸雄『春の祭典 ロシア・バレー団の人々』晶文社、1982年、230頁)。
- ^ マリインスキー劇場の演目『エジプトの夜』を改題したもの。
- ^ クレオパトラの登場シーンは、石棺の中から12枚の布に巻かれて運び出され、1枚ずつ布がはぎとられるという、「7つのヴェールの踊り」を思わせる演出がなされた(鈴木晶、前掲書、275頁)。
- ^ ニコライ・リムスキー=コルサコフの音楽と『千夜一夜物語』の最初の話に基づくバレエであり、華麗かつ官能的な舞台で当時称賛の的となったものの、この作品は近年ほとんど演じられない。その理由はパントマイムが多すぎることと、当時の時代感覚に密着した東洋趣味が今日では古めかしくなってしまったことであると考えられている。
- ^ ゾベイダは、スルタンの目を盗んで「金の奴隷」(ヴァーツラフ・ニジンスキーが演じた)と愛し合い、最後は自殺するという役回りであった。
- ^ 芳賀直子『バレエ・リュス その魅力のすべて』国書刊行会、2000年、213頁
- ^ 藤野幸雄、前掲書、230-231頁
- ^ 1911年の『シェヘラザード』の再演ではタマーラ・カルサヴィナがゾベイダを演じたが、イダの演技にはかなわなかった(藤野幸雄、前掲書、232頁)。また、『クレオパトラ』におけるイダの代役として、マタ・ハリが候補にあがったが実現しなかった(芳賀、前掲書、213頁)。
- ^ その後、ディアギレフは1914年の『ヨセフ伝説』(リヒャルト・シュトラウス作曲)に彼女を起用しようとしたが、イダは応じなかった。
- ^ 芳賀直子、前掲書、41頁
- ^ イダは当初、ラヴェルにアルベニスの『イベリア』の編曲を委嘱していたが、他人が同作品の編曲に着手していることを知ったラヴェルは『ボレロ』を書き下ろした(アービー・オレンシュタイン、井上さつき訳『ラヴェル 生涯と作品』2006年、129頁)。
- ^ この時バレエ・リュスはグラスゴーでの公演中であったが、ディギレフは単身パリに戻ってイダの旗揚げ公演を偵察し、踊り、振付、美術の全てに酷評を与えた(藤野幸雄、前掲書、237-238頁)。
- ^ 藤野幸雄、前掲書、238頁
- ^ マリ=フランソワーズ・クリストゥ、前掲書、109頁
- ^ マリ=フランソワーズ・クリストゥ、前掲書、110頁
- ^ この他に音楽家ではアンリ・ソーゲやジョルジュ・オーリック、振付家ではレオニード・マシーンやセルジュ・リファールらが協力した。
- 1 イダ・ルビンシュタインとは
- 2 イダ・ルビンシュタインの概要
- 3 参考文献
固有名詞の分類
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