アンダルスと北アフリカとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > アンダルスと北アフリカの意味・解説 

アンダルスと北アフリカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 09:48 UTC 版)

イブン・バットゥータ」の記事における「アンダルスと北アフリカ」の解説

ついに帰郷果たしたイブン・バットゥータだが2、3日も滞在するとすぐにタンジェ離れることになる。これはムーア人支配するイベリア半島アンダルス旅するきっかけとなった当時カスティーリャ王アルフォンソ11世はジブラルタルへの攻撃仄めかしていた。1350年、その攻撃から港を守る目的でイスラム教徒グループタンジェ旅立った。そこにイブン・バットゥータ参加した。しかし彼らが到着するまでにペストアルフォンソ11世を殺したために侵略恐れ無くなった。彼はそのままアンダルス観光旅行へと目的変えバレンシア王国をめぐり、グラナダアンダルスの旅を終える。 アンダルスを後にした彼はモロッコ旅する決断をする。家へ帰る途中でしばらくマラケシュ滞在した。かつての首都マラケシュペストと、フェズへの遷都によりほとんどゴーストタウンのようだった。 もう一度彼はタンジェに戻るが、ほんのしばらく滞在しただけでまた旅にでることになる。時は戻るが1324年イブン・バットゥータ初めカイロ訪れた2年前、西アフリカマリ王国皇帝マンサ英語版))マンサ・ムーサがまさにその街をハッジ為に訪れていた。途方も無い量の金を彼の国から持ち込んだマンサ・ムーサ巡礼当時カイロセンセーション巻き起こしていた。イブン・バットゥータ旅行記の中でこのエピソードには触れなかったものの、当時カイロマンサ・ムーサの話を耳にしていたとしても不思議はない。彼はサハラ砂漠越えた向こう側にあるこのイスラム国家次の目的地とした。

※この「アンダルスと北アフリカ」の解説は、「イブン・バットゥータ」の解説の一部です。
「アンダルスと北アフリカ」を含む「イブン・バットゥータ」の記事については、「イブン・バットゥータ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「アンダルスと北アフリカ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アンダルスと北アフリカ」の関連用語

アンダルスと北アフリカのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アンダルスと北アフリカのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのイブン・バットゥータ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS