アンダルス統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/20 13:50 UTC 版)
「ユースフ・イブン・アブド・アッラフマーン・アッ=フィーリ」の記事における「アンダルス統治」の解説
739年から743年のベルベル反乱を始めとしてアンダルスは極めて不安定な時期を迎えたが、混乱を乗り越えた後の747年にアンダルスの長官に就任したユースフは、750年にアッバース革命によりダマスカスのウマイヤ朝本国が滅亡したのちもアンダルスを支配し続けた。この時点でのユースフは、もはや長官(ワリー)ではなく王(マリク)に相当する存在だったと指摘されることもある。最高統治者となったユースフは、国内の人口調査を行った。ホステゲシス司教が、租税と人頭税の納税者一覧を作成したことが伝えられている。司教たちは、税が確実に収められたことを確認するため毎年ユースフのもとを訪問させられた。
※この「アンダルス統治」の解説は、「ユースフ・イブン・アブド・アッラフマーン・アッ=フィーリ」の解説の一部です。
「アンダルス統治」を含む「ユースフ・イブン・アブド・アッラフマーン・アッ=フィーリ」の記事については、「ユースフ・イブン・アブド・アッラフマーン・アッ=フィーリ」の概要を参照ください。
- アンダルス統治のページへのリンク