アルスの司祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:20 UTC 版)
「ジャン=マリー・ヴィアンネ」の記事における「アルスの司祭」の解説
バレー神父の死から間もなくして、人口230人の村であるアルスの小教区の司祭に任命された。アルスの主任司祭として、彼は革命の後遺症、つまりフランスのカトリック教会の破壊が宗教的な無知をもたらしたことに気付いた。当時の田舎での日曜日は、田野の労働に費やすか酒場で踊ったり飲んだりして過ごすものであった。日曜日は宗教生活に充てられたものであったので、彼は驚愕した。告解室で時間を費やし、冒涜やダンスについて非難する説教をした。もしも彼の小教区の信者がダンスを止めなければ、彼は罪の許しを与えることを拒否した。 バレー神父は彼が最も感化を受けた人物であった。革命の最中でも、信仰に忠実であり続けた司祭だったからである。彼は、バレー神父のようにたとえ違法であった時でも、司祭の任務を全うせずにはいられないと感じていた。 また、アルスの主任司祭を務めている35年もの間(1824年-1858年)、彼は悪魔からの攻撃を受け続けたといわれている。悪魔は騒音を立てたり、猫のように鳴いたり、「じゃがいも食いのヴィアンネ」と叫んだりして、神父を攻撃した。
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