アリーナスの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 14:16 UTC 版)
「ワシントン・ウィザーズ」の記事における「アリーナスの時代」の解説
2003-04シーズン、FAであったギルバート・アリーナスと契約、ニュージャージー・ネッツのアシスタントコーチであったエディ・ジョーダンがヘッドコーチに就任したが、若い選手が多く依然として低迷から抜け出せなかった。 2004-05シーズン、ダラス・マーベリックスから、スタックハウス、レイトナーとドラフト5位指名権でアントワン・ジェイミソンをトレードで獲得、シーズン前の低評価を覆し、ギルバート・アリーナス、アントワン・ジェイミソン、ラリー・ヒューズら主力の活躍によって久々にプレイオフに進出する。翌2005-06シーズンには、FAとなったヒューズを失うも、出場時間を得られず低迷していたクワミ・ブラウンと交換でカロン・バトラーを獲得、新しいビッグスリーを形成するなど的確な補強を行い、2年連続でプレイオフに進出した。 以後の2シーズンはアリーナスの負傷欠場などでチーム成績は横ばい状態にある。またプレーオフ1回戦では3シーズン連続でクリーブランド・キャバリアーズと対戦し、いずれも敗退を喫している。 2008-09シーズンはアリーナスとブレンダン・ヘイウッドが怪我でシーズンをほぼ全休。チームはウィザーズに名称を変更後、最低の成績でシーズンを終えた。 2009-10シーズン、アリーナスがシーズン開幕から先発出場し、プレーオフ返り咲きが期待された。しかし、アリーナスがロッカールームに拳銃を無断で持ち込んだ事が発覚。この不祥事を重くみたリーグはアリーナスと同じくロッカールームに拳銃を無断で持ち込んだジャバリス・クリッテントンをシーズン終了まで出場停止の厳罰処分を下した。この事件後、チームは来季以降の再建を目指して、シーズン中にバトラー、ジェイミソンら主力を次々に放出。新たにジョシュ・ハワードやアル・ソーントンらを獲得したが、ハワードが移籍早々に怪我でシーズン絶望となり、チームも2シーズン連続プレーオフ不出場となった。2009年11月24日にオーナーのエイブ・ポリンが死去した事もあり、チームの雰囲気は最後まで暗いままであった。
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