アメンヘルケブシェフ(Amun-her-khepeshef)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 16:45 UTC 版)
「ラムセス2世」の記事における「アメンヘルケブシェフ(Amun-her-khepeshef)」の解説
第一王子。ラムセス2世とネフェルタリの息子。最初の王太子。アブ・シンベル大神殿や小神殿に展示される。「軍隊の指揮官(Commander of the Troops)」、「有効な親友(Effective Confidant)」、「王の長男(Eldest Son of the King of his Body)」「世襲の王子(Hereditary Prince)」などの称号を持つ傍ら、「王の右手の扇子持ち(Fan-bearer on the King's Right Hand)」や「王家の書記官(Royal Scribe)」等王の側近が持つ称号を他の王子と共有していたようだと言われている。このような彼の称号は、彼が軍で高い地位を占めていた事を示しており、また外交官としてラムセス2世の治世21年のヒッタイトとの平和条約締結後の外交関係に関与している。治世21年ほどにセティヘルケブシェフ(Sethhirkhepeshef)に改名したらしいとされる。治世25年頃に死去。国王の谷の王子合葬墓KV5に埋葬されている。
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